![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/42027675/rectangle_large_type_2_27b30828ec8798c452edc2b7fb61a99e.jpg?width=1200)
2020→2021 「前向きに」とかじゃない。
予想もしない1年だった。
…というフレーズがまるで時候の挨拶みたいに、ありふれたものになっている。
「良いお年を」という言葉を誰かに画面越しで伝えながら、しんどかったな、長かったなと思う。2020年って始まってたっけ?とさえ思う。始まらないまま終わってしまったような。時の流れは容赦なくて「お客様のご気分は預かり知らぬところでございまして、いただくものはいただきますよ」と、しっかり1年分の歳はとられてしまったのだけど。
いや、ネガティブなことを言いなさんな。この状況下でも前向きに捉えられる変化がいくつもございましょうに。ポジティブになれることが、ごろごろと。
…という姿勢。そりゃごもっともだ。
表舞台に立てば自分だって、さも常識人ぶって笑顔でそんなようなことを口にする。実際に、非常時のもとでそれまでの慣習がすんなりと破られ、喜ばしく思える社会の変化もあった1年だった。
だが内心、疲れてもいる。
前向きになるの、疲れるだろう。目の前に現実があるんだぞ。
そんな簡単じゃないんだから。
「勝手に開き直って、うまいこと器用に、そして聡明に生きていられているような顔するなよ」
そうやってもうひとりの自分が、自分にツッコミを入れている。どちらも本心だ。希望もないわけじゃないが、疲れてもいる。そう疲れている。
「いやぁ、こんな時代だけど考えようによっては前向きになれるよね」
じゃない。
前向きにならなきゃ、やってられないから否応なく前向きにさせられている。
だから、みんな疲れている。そんなもんじゃないのか?
とかなんとか愚痴ってしまったって、それもまた正論となってまわりを暗い顔にさせてしまう。ここは黙って、もくもくと仲間たちと現実を片付けていくしかない。
残された方からすれば、悲しい。
と思えてしまう選択をして旅立ってしまうひとが多かった。そのたびに、優しさをまわりに振りまいていないと、自分自身が不安になってしまうひとたちが「何かあったら言ってくれ」と叫んでた。
言えないから、その選択をしているんだよ。
もう少し、そのひとが立ち向かっている「言えない」という現実の厳しさを思いやってやれないだろうか。言いたくても言えない苦しさにもがいていることに「何かあったら言ってくれ」という言葉の紙切れがどれだけ乱暴なものか、もう少し考えてはくれないのか。
と、これも画面をみながら、ぼそぼそと呟いていた。
大丈夫か?と言われて、大丈夫だよと、何度も答えるしかなかった。大丈夫だよと答えさせらえることのつらさについて考えた。2020年。
そしてうっすらと後ろから声が聴こえてくる。
「大丈夫か?と聞いてくれるひとがいるだけ、お前は幸せだよ」という、かすれ声。その通りだ。みんな、バラバラだ。立っている場所がみんな違う。
幸せを腕に抱えていたって、そのことさえ”責め”を呼びこんでしまう、今だ。
どうも、うまくいかない。
もう一度、大丈夫か?と訊かれれば、今はなんと答えるか。
「わかんねーよ」と言って、そして笑うかもしれない。
大丈夫じゃないが、大丈夫にするしかない。
大丈夫にするために、いっそのこと一緒に、笑ってほしいなと思う。
冷めた感じの方がむしろいい。
一緒に並んでこの有り様を眺めながら「やばいねー」と言い合いながら、笑ってほしい。優しさに素直になれないことは、こっちだって苦しい。やはり自分がダメなんだと思ってしまうから。
もうすぐ年が明ける。
独立して、小さな舟で漕ぎ出したはいいものの、いきなり荒波で沈没しそうになっった。名ばかりとはいえ船長の自分が船酔いして倒れかける始末で、そんななかでも、この舟に乗り続けてくれているスタッフたちには感謝しかない。
もう少しいい景色を見せなきゃいけなかったのに、今のところ、どこにも辿り着けていない。さして綺麗でもない海面がぐらぐら揺れているのをずっと眺めるだけだ。もうちょっと広くて、見通しが良くて、気持ちのいい空の下に連れていきたい。
家に帰っても苦しそうな表情ばかりしていた。申し訳なかったなと思う。
風向きは変わらないかもしれない。
むしろ風の強さが激しさを増すばかりだ。マスクにもアルコールスプレーにも、なんだか刺々しくて、じめじめとした言葉のやりとりにも、苛立ちのガス抜き場所を探して、粗探し、悪探しに心奪われて、目つきが座っている人々が醸し出す空気にも、そして増え続ける数字にも…どこか慣れてしまっているからよくない。
風が強くなっていることに気がつかないかもしれない。
ただ身の振り方は、身の当て方は、まだやりようがあるだろう。
変えようがあるだろう。
前向きにはなれない。もう疲れているし。
だが「変わりたい」という気持ちは失ってはいないし、というか、その気持ちからは逃れられない。「変わりたい」なんて思わないですむんだったら、そのほうがいっそのこと楽だ。「変わりたい」という気持ちにとらわれている。
まだ自分に期待してしまうことから、降りられないでいるのだと思う。
いろいろなものをあきらめて、受け入れて、ただ前に進むしかないんだったら、もう少し楽なんだろうけれど、モノをつくる人間としては、そうではいられないときもあるから、いつも二重人格のように生きている。生き延びている。
あきらめながら、あきらめないで、生きている。
2021年だ。もう少し、笑っていたい。
水野良樹
ここから先は
¥ 400
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?