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松井五郎さんにきく、歌のこと 5通目の手紙 「器と水と、そして変わりゆくものと」 松井五郎→水野良樹

作詞家の松井五郎さんに、水野良樹がきく「歌のこと」。
音楽をはじめた中学生の頃から松井五郎さんの作品に触れ、強い影響を受けてきた。
もちろん、今でも憧れの存在。
そんな松井五郎さんに、歌について毎回さまざまな問いを投げかけます。
往復書簡のかたちで、歌について考えていく、言葉のやりとり。
歌、そして言葉を愛するみなさんにお届けする連載です。

5通目の手紙「器と水と、そして変わりゆくものと」
松井五郎→水野良樹

水野良樹様

 先ほど、いきものがかりの新曲「きらきらにひかる」TVで拝見しました。ドラマのタイアップという役割を果たしながら、それでいて、現在の厳しい現実と向き合った作品になっていると感じました。時代に選ばれる作品。それは市場を意識した娯楽性と内省的な作家性の混合種なのですね。先日、玉置浩二ショーの再放送で水野君の少年のまなざしに大切なものを見た気がして、とても刺激を受けたばかりです。番組の中で、水野君が昔買った玉置浩二楽譜集にサインを頼む姿は、僕らがいまこうして音楽の世界で存在する本質があるようにも思いました。「憧れ」それがはじまりだった。それはとてもシンプルで純粋な動機だった事を思い出しました。

 そんな事を考えながら、前回のお手紙を読み返し、自分の歩いてきた道をふりかえってみます。

「音楽をとりまく環境の大きな変化を書き手としてどう通り過ぎてきたか」

 長い歴史の中で表現者にとって「複製」は諸刃の剣だったのだと思います。多くの人に伝える事ができる反面、そのものの価値を計り守る事が難しくなる。その意味で、印刷の誕生は世界を変えたし、人間の感性にも影響を与えました。音楽で言えば、テープレコーダー、特にカセットテープが登場した段階で今日の未来は予想出来た事なのかもしれません。サブスクリプションで聴く歌。そこに言葉はどう在るべきか?なんの答えもないのが正直なところです。

 少し時間を巻き戻してみます。
 洋楽は聴いていたものの、自作するという事をはじめたのは、吉田拓郎さんや井上陽水さんのフォークムーブメントの洗礼を受けてからでした。当時はまだ歌謡曲の高い城壁があり、音楽業界の枠組みもそれまでの歴史で築かれた簡単には越境できない境界線があったように思います。ただ、そんな環境に媚びることなく、自ら作り表現する場を求め、若者たちは進化し増殖していきました。その舞台となったのは路上であり解放区のようであった深夜放送などのラジオでした。そこで生まれる歌-言葉はソーシャルディスタンスならぬパーソナルディスタンスと言っていい距離感を持った、「自分たちの事」を代弁してくれるものでした。

 若者たちの熱量は時代を変えていきました。それはYouTubeやニコ動などインターネットを背景に若者の力が時代を変えてきた近年の動きにも似ているかもしれません。まだアマチュアだった僕も、内にある反抗心や虚無感を言葉に置き換えるように創作を始めました。まだ作詞家でもなければ、ミュージシャンでもありませんでしたが、なんの打算もなく、ただひたすら創作するエネルギーは、この頃に培ったようにも思えます。その頃に書いたものをいま見れば、どれも拓郎さんや陽水さんの模倣のようなものばかりですが、それは彼らが捉えた時代の空気を学習していたと言えるかもしれません。後のCHAGE & ASKAや長渕剛さんとの出逢いに、過去の創作の時間は役に立った気がします。年齢も変わらず、同じ風景を見てきた者同士、70年代の歌言葉の感覚は共有していたように思います。

 さて、1979年ウォークマンの登場により、音楽は個室から屋外へ飛び出します。更にカーオーディオの進化も拍車をかけ、音楽はインドアから、アウトドアで楽しむものに変化しました。当然、言葉の役割も変化したと思います。それまで四畳半フォークという言葉があったくらいの世界観から中央フリーウェイまで行ってしまうわけです。その感覚の飛躍は大きな変化だったと言えます。その変化を牽引したのは間違いなく松任谷由実さんです。フォークソングに代わりニューミュージックという言葉が台頭します。世の中はバブルへの助走が始まっていました。音楽市場も活気に満ち、今では考えられないくらい贅沢な制作費でレコーディングができた時代でした。視聴環境がアウトドア化する一方で自宅では大きなオーディオセットで音楽を聴く。ハードトソフトの両面で音楽をとりまく環境の多様化は進みました。

 丁度その頃から僕は仕事として作詞をするようになります。アマチュア時代の世界観とはまるで違う時代の到来です。パーソナルディスタンスの尺度はそれほど違ってはいませんでしたが、そこにいる人たちの様相はかなり変化しました。歌の中で描かれる世界も小さなアパートで描かれる恋歌ではなく、六本木や西麻布で高級マンションやホテルのラウンジが舞台になったり。ダンスミュージックも流行し、みんなで歌ったり叫んだりと、言葉はよりフィジカルになったと思います。当然、そういった背景は考慮して歌詞も作りました。英語も多用し、意味よりも語感を優先する作品も多かったですね。

 さて、そんな時代の華やかな風景の遠方で、マイクロソフトやアップルの足音が聞こえていました。そしてインターネットの普及と共に音楽業界も加速度的に変化しました。誰でもすぐ世界に向けて自己表現ができる。コストと時間をかけて練り上げた作品が、経験も実力も定かではないミュージシャンの作品と境がない市場に並ぶ。その事は、長い時間をかけて積み上げたビジネスモデルを作ってきた人たちには脅威だったと思います。しかし、サブスクリプションにしても、良い悪いを論じたところで流れは止まりません。その流れの中でオールをコントロールできるか。

 書き手として、その時代時代の変化を研究して技巧的な事も含め対応はしてきましたが、自分がしてきた事で意識していたことがあるとすれば、それは言葉とは直接関係がない事から、言葉の価値を探ったり、言葉の在り方を捉える事だったかもしれません。例えば作詞家であれば、作詞だけをすればいいわけですが、DTMや映像や作詞とは違う脳を意識して使う。言葉から距離を置くことで見えてくる言葉の価値を探る。

 近年、作詞とはなにかを問うとき、曲を求め、歌手を求め、編曲を求め、オーディエンスに届ける。そこまでを作詞と答えます。以前は、歌詞さえ書けば、それが人に伝わるまでの行程がはっきりしていて、作詞家もそれに従えばよかった。しかし、現状、若い作詞家はコンペばかりで、かつてのように作家を育てる基礎体力がレコードメーカーや音楽プロダクションにはありません。書くには書いても、YES-NOだけで、僕らが若かった頃のように作家を育ててくれる環境はほぼない。正直、機能不全に陥っているシステムもあるように思います。未来を語るにはあまりにも厳しい。そこへ来てコロナ禍の追い打ち。

「過去を否定して新しさを打ち立てる破壊者でもなく、新しさを拒絶して過去の輝きに固執する懐古主義者でもなく…」水野君が仰っていた「新しい普通」とは安定や定型を指しますか?

 誤解を怖れずに言えば僕は創造の世界は「混沌」で良いと思っています。
安定は時に想像力を奪います。従えば結果が出るシステムは思考停止に陥りやすい。ただ、「混沌」を生きていくには相当エネルギーを必要とします。そのためには、前回の最後に記した「愛」が必要なんだと。それはやはり無償の情熱なんだと思うんですよ。そう「憧れ」も同義かもしれないですね。数値化できない価値を捉える感性。もちろん霞を食べては生きていけない。それでもいまの状況はその覚悟をもう一度問われている気もします。その問いに答えるために路上に戻る。「Back to on the road」道へ戻る。人に戻る。もちろん路上ライブをやるという意味ではありません(笑)。その事ではありませんが、空気を体感するという意味では水野君の記憶にもあるものだと思います。生業となった時点で生じた力学をフラットにする。金銭という対価とは違う価値を想像できるか。それを有形化するのは難しいかもしれませんが、それはいつか人という形でわかることなのかもしれません。HIROBAも無名の誰かが足跡を残す場所になると面白いだろうなと思ったり。

 いつか水野君の前にいきものがかりの楽譜集を手にしたミュージシャンが少年の瞳をしてサインを求める。そんな未来が見てみたい。

 さて、今回は僕が見てきた風景を連ねただけで、具体的にどう?の返信にはなってないかもしれませんが行間を汲んでください。。。実は、書簡を書きながら、僕らが活動していた時代、世代の違う水野君はどんな風に、その時代の音楽を感じたのか訊いてみたい気がしました。ここ数回少し観念的?な話だったので、例えば、あのアーティストのあの歌詞には感動したとか。。。自分のこの歌詞についてひとこと言いたいとか。歌詞そのものの話はどうでしょう?

松井五郎

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