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読む『対談Q』 水野良樹×ジェーン・スー 第3回:よくわからない踊り場にずっといる。

HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されている『対談Q』。こちらを未公開トークも含めて、テキスト化した”読む”対談Qです。

今回のゲストはコラムニストのジェーン・スーさんです。

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握手をしたのは、神だったのか悪魔だったのか。

スー:今、Netflixでカニエ・ウェストのドキュメンタリーやっているんですよ。これが秀逸すぎて、震えるので観てください。吐いちゃうかもしれない。

水野:どういう意味で?

スー:カニエ・ウェストってまず、プロデューサー、ビートメーカーだったんです。でも始めたばかりの若いときは、まわりからすごく軽く扱われていて。結構なものに参加したのにクレジットが載ってないとかね。でもそんななかで、友達とか呼んで、いいアルバム作っていって、レコーディングをして。そういうひとが、今なんであそこまでになったんだろうっていうところ。

水野:うん。

スー:今よくも悪くも、ある種のリトマス紙みたいになっちゃっているじゃないですか。カニエに対してどういう気持ちを持つかで、ひとが分断される。バカみたいな話ですけど。それぐらいの存在になっている。じゃあ結局、もともと裏方気質だったひとが握手をしたのは、神だったのか悪魔だったのか。…っていう作品なんですよ。

水野:怖いなぁ。

スー:だから、あっちに行けることだけが、私は正解だと思っていないです。

水野:そうですね。

スーつじつまの合わないものとか、あっちに行きたいと思っているけど行けない自分とか、そこを正直に綴ることのほうが、私は自分の仕事だと思うし、使命だと思うし。

水野:使命ね。

スー使命っていうのは、誰かに対するものじゃなくて、自分で自分に対する使命。


最大公約数が1回も自分にハマったことがない。


水野:そうなんですね。僕、ジェーン・スーさんの本を読んでいて思うのは、ご自身で考えていること、内省していることはもちろん出ているんだけど、ちゃんと他者がいるんですよね。

スー:うん。

水野:いろんなタイプの方がいらっしゃると思っていて。天才系の作り手の方って、他者がいないバージョンがある。

スー:あー、わかります。

水野:ご自身の世界のなかですべてが完結していて、他者を描くときも、自分から見ているものしかない。向こうから見えている自分がいない。そういう歌詞を書かれる方も結構多くて。それはそれですごいなと思うんです。でもジェーン・スーさんの文章は、必ず他者の視点がどこかに入っている。ただ、そこに従順かというと、そうじゃない。その絶妙さをなんで保てるのか…。

スー:多分、私が書いているのは私のことじゃなく、社会と私なんですよね。だから他者があるんだと思う。

水野:なんで社会に興味を持てるんですか?

スー:社会からはみ出たからです。小さい頃から背が高かったり、身体が大きかったり。あと、エビちゃんOLみたいな格好が一切似合わないとか。最大公約数が1回も自分にハマったことがないんですよ。そうするとやっぱり、はみ出し者として対峙している社会が見えてくるんだと思います。

水野:僕、逆に、「最大公約数にいる」ってずーっと言われてきたんです。

スー:いました?

水野:いや、自分はその感覚がまったくなかったんですよ。いつも居場所がないって思っていた。でも、「常にマジョリティーの側に君はいるよね」って言われ続けて、悩んできたんですよね。

スー:私もね、自己認識とまわりからの認識が、乖離していることが結構あって。こういう仕事をするようになって言われるのが、「でも高校のときからこうだったじゃん」とか、「大学のときこうだったよ」とか。でもそれは、逆に救済みたいでしたね。あ、私あの頃、そこそこ楽しそうに見えていたんだ、って。

水野:なるほど。

スー:だったらいいやとも思った。まぁでも、水野さん、めんどくさい方ですよね(笑)。会って2度目で言うのもあれですけど。

水野:(笑)。

スー:「そこは突き詰めて考えなくてもいいんじゃないの?」って言われるタイプですよね。

水野:はいはい。考えすぎって。

スー:でもそれ止まらないじゃないですか。

水野:止まらないですね。

スー:だからこれを持病として抱えていくしかないんですよ。

水野:そうなんですよね。

スー:はたから見たら多分、ドット絵みたいな感じでメジャーにいたんだと思います。昔のマリオみたいな。だけど自分のなかではもっと画素数が高いから、影もあるし汚れもある。だから真ん中にいるとは思えない。そこはどうしても一致しないですよね。


4階には上がれない。3階に行こうとすると石を投げられる。


水野:だんだん、「最大公約数側だ」って言われるようになっていません?

スー:こないだ、すごく切ないのがありました。年齢も結構いっていて、とくに肩書きや特技があるわけでもないひとが、突然ラジオに出てきて、文章を書いていて。「あ、こんなひとでも」って枠で、はじまっていたわけです。でも、運とか縁に恵まれて、なんとか返せるように頑張ろうと思ってやってきた結果、「どうせあなたにはわからないから」って側になっていて。おぉ…そっちの箱に入れられた、って。

水野:あぁ…。

スー:生存者バイアスがかかっていて、「どうせわからないですよね、弱者の気持ちは」って、こないだはっきり言われて。皮肉だなぁと思って。状況がね。でも、「お前は違う」って枠に入れられたからって、じゃあもともと違う枠にいたひとのところにクラスチェンジできるかっていったら、それは無理ですよね。

水野:違いますね。

スー:だから、このよくわからない踊り場にずっといると思います。3階と4階の間にずーっといる。4階には上がれない。3階に行こうとすると石を投げられる。

水野:踊り場、めっちゃ共感します(笑)。そこを引き受ける覚悟もできちゃっていません?

スー:今のところは踊り場の居心地がいいけど、変わっていくときには変わっていくんじゃないかな。すごく運がよかったなと思うのは、40過ぎたぐらいから、まわりのひとに気にかけてもらえるようになって、褒めてもらえたりするようになって。そうすると自己受容が進むんですよね。「私なんかが」っていうのがなくなって、「やってみたい」になる。だから、とにかく自分に嘘をつかないというか。やりたくないことはやらない。だってさ、居心地が悪いとことに行きたくないじゃないですか。

水野:難しいっすねぇ…。

スー:なんで? なんで?

水野:自己受容の話、本当に難しい。今、ジェーン・スーさんとちょっと違うスタンスで、僕も自己受容しようとしているんです。自分が自分を褒めてやらないと、誰も褒めてくれないかもみたいな状況を作っているから、自分で褒めているんですけど。そのなかで、いつこれが統合されるときがくるんだろうって、待っている感じで。

スー:うん、うん。

水野:でも、ジェーン・スーさんは統合してきている気がするんですよね。

スー:あー。そうかも。前よりはそうだと思います。ただ、すごく怖いです。今までは、ルサンチマンで石を投げていればよかったんですよ。それはそれで需要があるじゃないですか。だけど、それをしたくなくなってきて。前に出ていくと今度は石を投げられる側になるので。こえーなーと思いながらも、ちょっと前に行ってみるか、という感じではありますね。


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