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『OTOGIBANASHI』をはじめるまえに



君へ。

いいかい。どうか、ゆっくり聞いて欲しい。
焦る必要はない。僕もゆっくり喋るから。
前の言葉と後ろの言葉とを丁寧に結びつけてくれ。
それぞれが、はぐれはぐれにならないようにね。すべては一連なのだから。

僕はね、ニンゲンは物語がないと、どうにかなってしまうと思うんだ。そもそもニンゲンは物語がなくちゃ、この世界を理解することさえできない。

何を言っているか、わからないって?そりゃあ、そうだろう。僕が話す言葉だって、ただ音を並べているだけなのだから。それをみんなは“意味”って呼ぶらしいが、音と音とをつなぐ線のようなものを君の頭のなかで描けなければ、この声だって、ただ耳から流れ込んで、君の頭のなかの湖に小さな波紋をつくって、消えていくだけなんだ。

夜空の星だってそうだろう。まっくらやみに、あんな風にばらまかれて。あいつら好き勝手な場所で光っているだけなんだよ。それをニンゲンたちは昔からけなげなもんでさ。馬鹿正直にひとつひとつのあいだを線でつないで、かたちを描いて。星座って言うんだろ。牡牛に似ているとか、山羊に似ているとか。冗談も大概にしてほしいよな。ぜんぜん牡牛に見えないよ。でも、昔のニンゲンたちはカメラも望遠鏡もない時代に顔を上げて、一生懸命に線を引いて、バラバラに散っている無数の星たちに、意味をもたせたんだ。そうやって彼らは星空を理解したんだよ。自分たちのものにしたってことだな、あの大空をだよ。

物語と関係ないじゃないかって?

もしかして君は、物語ってものをずいぶんたいそうなものだと思っているんじゃないか。物語なんて小さなものなんだよ。何度も言うけれど線を引くんだ。あるものと、あるものとのあいだにね。たった一本引ければ十分だよ。それでもう、小さな物語は生まれていると言ってもいい。君と僕とのあいだにも線を引く。ほら、やってごらん。どうだい。線を引くとそれぞれに名前をつけることができるだろ。

僕は“父親”で、君は“息子”だ。これを“親子”って言うらしいよ。

別に“友達”でもいいんだぜ。これは君の考え次第で、なんとでも変えてくれていい。僕はいっこうに構わないさ。でも先に言っておくよ。これから僕は長い時間をかけて、君にいろいろなことを伝えると思うんだ。お母さんを大切にしなさいとか、親切にしてくれたひとにはありがとうって言いなさいとか。もっと複雑なことも言うだろう。ときには声を荒げるかもしれない。君からしたらワケがわからないだろうけれど僕はこれから、君がすること為すことで、泣いたり笑ったりするんだ。たくさんね。

それを長いあいだ見せられているとさすがに呆れてきて、君は僕のことを“友達”だとは言えなくなるんじゃないかな。たぶん“親子”って言葉がしっくりするときがくると思うよ。僕もそうだったから。僕の“お父さん”とのつながりは、そんな感じだった。ああ、そうだね。君からすれば“おじいちゃん”だ。いや、呼び名なんてほんとはどうでもいいんだ。そのときどきによって変わるものなんだから。大事なのは線でつながれていること。僕と君と、僕が“お父さん”と呼んだひととが、ちゃんと線でつながれていることがなにより大事なことなんだ。線があればそこに物語が生まれてきてくれるんだからね。

いいかい。残念だけれどニンゲンは孤独なんだ。
それも生半可な孤独じゃない。手足をばたつかせたって、それどころか大声を出したって、この家を抜け出してずっと遠くまで走り出したって、ほとんど状況は変わりはしない。

ひとつのいのちとして生まれてきた以上、この肉体からは離れられないんだよ。君は君の体の中にいる。僕も僕の体の中にいる。一緒にはなれない。みんなバラバラなんだ。ちょうどさっきの星空といっしょだね。

ニンゲンだって散り散りなんだよ。となりのひとが考えていることなんて、わかりっこない。僕だって、君が考えていることのほとんどがわからない。君のことがこんなに大好きなのに。でも、ぜんぜんわからないんだ。

おまけに、いつか死ぬ。
ほんと、びっくりしちゃうよね。今はこんなにも元気でぴんぴんしているのに。僕も君もいつか死んじゃうっていうんだから。でも、避けられないことなんだ。忘れちゃだめだよ。楽しいときも、つらいときも、ちゃんと頭に入れておくといい。いつか終わるんだということをね。

少し、寂しいかい?
少しじゃないか、だいぶ寂しいよね。いや、不安な目で見なくていい。そうやってすぐに黙り込んでしまう君を責めているわけじゃないんだ。沈黙も言葉のひとつだ。君が黙ってくれたことで僕がわかったこともたくさんあるんだから。黙ることを恐れる必要はない。

実はね、その寂しさは誰もが持っているものなんだ。君だけじゃない。僕も持っている。おそらく、他の多くのひとたちも持っているんじゃないかな。ちゃんと気がつけているかどうかは別にしてね。孤独であるということにおいて、僕らは孤独ではないんだ。

少し難しい言い方になってしまったね。
みんな同じだということだよ。みんな、ひとりだということだ。呆れるほどに、ひとりきりだということだ。ニンゲンはね、寂しさを感じられるくらいには賢かったんだ。けれども寂しさを我慢できるほどには強くなかった。だから生み出したんだよ。いや、生まれてきてしまったというほうが、正しいかもね。

何がだって?物語がだよ。
40年くらい生きている僕と、まだ5年くらいしか生きていない君がいる。ここに在る現実を説明してしまえば、たったそれだけのことなんだ。生命活動を維持している物質が二つ、この空間に在る。それだけ。つまらないだろ。本当に現実ってのは冷たくて、面白みがない。ちょっと耐えられないよね。寂しすぎる。

だから僕は君とのあいだに線を引く。
生まれてきてくれた、いのち。その君へと線を引いて、とりあえずそのつながりに“親子”という名前をつけた。何度も言うけれどつながりの名前なんてどうでもいいんだ。なんなら星座みたいに“牡牛”とか“山羊”ってつけてくれてもいいよ。まわりから笑われちゃうかもしれないけれどね。でも、それはささいなことさ。

線がつながれて、同じひとつの物語のなかに僕の命と、君の命が置かれる。そのことが大事なんだ。そうやって同じ物語のなかで生きることで、僕らはつながっていることを、かろうじて信じられるんじゃないかな。それがたとえ幸せであろうと、不幸せであろうとね。

君に嘘はつけないから、はっきり言うよ。そのつながりは幻なんだ。でもね、どうやら幻がないと生きられないみたいなんだ、僕らは。現実を物語で包み込むことで、やっとニンゲンは“人間のようなもの“でいられるんじゃないかな。

もちろん、ニンゲンはそんなに器用じゃない。
物語が僕らを縛り、僕らを苦しめたことだってたくさんある。今まで、いったいどれだけの失敗を重ねてきたことか。

“親子”に苦しんでいるひと、たくさんいるよ。痛ましい事件もたくさんあった。“恋人”に思い悩んでいるひとなんて、もう数えきれないくらいだよね。僕も若い頃はたくさん悩んだよ。君もそのうち素敵なひとをみつけて悩むんじゃないかな。少し羨ましいのが不思議だね。僕も歳をとったのかもしれない。

君は知らないと思うけれど、物語を大きくつくりすぎて、あやうく世界が滅亡しかけたときもあったんだ。僕だって生まれていなかった頃の話だ。ずっと昔のことさ。“国家”っていう大きな物語のなかで、たくさんのひとが死んだんだって。僕の“おじいちゃん”や“おばあちゃん”はその頃を知っていてね。すごく大変だったんだよって、たまにその話をしてくれたよ。

そうだ。ニンゲンは死んじゃうけれど、物語は死さえも飛び越えてくれるときがあるんだよ。だって君は、僕の“おじいちゃん”と“おばあちゃん”に会ったことがないだろ。ずっと前にお空に旅立ってしまったからね。“おじいちゃん”と“おばあちゃん”という存在は、もうこの世界には無いんだ。

だけれども“おじいちゃん”と“おばあちゃん”が生きていた“こと”は、ずっとこの世界に残り続けている。かつて彼らが生きていたという“こと”を、僕がまさに今、君に語りかけているからね。彼らのいのちはもう消えたけれども、彼らの物語は消えていないんだよ。語り続けられる限りはね。

近くのひとたちと線をつなげることのできないひとは、物語を通して時も場所も超えて、遠くのひととつながることもできるんだ。ひとりきりの部屋で膝を抱えながら広げた物語を通して、救われた人がこれまでどれだけいたことか。

君の孤独は遠い誰かの孤独とつながることもあるんだよ。そのとき、死や距離や時間は障害にはならないんだ。素敵で、不思議で、怖いだろ。面白いことさ。

長くお話をしてしまったね。もう眠いかい?
少し難しかったかな。やがてもっと言葉を覚えたら、そして君が、過去という物語をいくつか持ち始めたら、きっと今日のお話が、いくらかわかるときがくると思う。僕と君とで今日お話をした“こと”も、小さな物語なんだよ。

物語はいつ思い出してもいいんだ。途中から読んでも、なんなら書き足してもいい。このベッドで読んであげている絵本たちだってそうだろう。君は、僕が一生懸命に読み聞かせているのに、いつもとなりですぐ結末を言ってしまう。いや、怒っているわけじゃないんだ。そこから君が想像しておしゃべりしてくれる新しいキャラクターや、新しいお話は、毎夜、とても楽しいから。

そうだね。そうなのかもしれないね。
君のような小さな子どもたちが、眠りのくらやみに入る寂しいときに、決まってお話をせがむのも、きっと僕らがニンゲンだからなのかもしれないね。同じ物語を読みながら、夜の別れの前に、僕らは手をつないでいるのかもしれない。

さぁ、子守唄を歌おう。

歌はね、文字や、言葉や、意味さえ、超えてくれる、小さな物語なんだよ。たくさんお話をして、そして最後にくちずさむんだ。メロディをね。

それは物語とニンゲンとの“あわい”にあるもの。
豊かな意味と、無機質な物体との“あわい”にあるもの。河のように流れて、とどまることなく。だけれども、歌い出せば、そこにずっとあってくれるもの。永遠のように。一瞬のように。

さぁ、眠りについて。

語ればいい。歌えばいい。

ずっと、ね。


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