読む『対談Q』 水野良樹×柴田聡子 第1回:私は今、歌うことにハマってきている。
ちょっと変な気持ちになりたい。
水野:さぁ、対談Qです。本日のゲストは、シンガーソングライターの柴田聡子さんです。よろしくお願いします。
柴田:よろしくお願いします。
水野:やっとお会いできました。
柴田:私も嬉しいです。ありがとうございます。
水野:きっかけを言うと、今までも、いろいろな方が柴田さんの曲を「いいよ」って言っていると思うんですけど。ある音楽番組で、僕が「後悔」という曲が好きだと生意気にも発言しまして。それを受けてTwitterとかで声をかけてくださったりして。
柴田:はい。
水野:これはいつかお会いしたいなと思って、今日お呼びすることができて。
水野:事前に「こんなことを訊きたいです」って質問案を送ったんですけど、すっごい堅い感じで書いちゃったんですよね。
柴田:私も「結構すごいのが来たぞ、マジで頑張んなきゃダメだぞ…」っていう気持ちで(笑)。
水野:僕、理屈っぽくなっちゃうので、ざっくばらんに語っていただければと思います。
柴田:はい、よろしくお願いします。
水野:今日のテーマは「詩と詞のちがいについて」。こっちは「寺」で書くほう。いわゆる言葉での表現、詩。こっちは「司」で書くほう。歌詞。歌につける言葉。これらの違いについて、柴田さんとお話したいなと思って。
柴田:はい。
水野:柴田さんの音楽って、やっぱり言葉が特徴的で。どう作っているんだろうって単純な興味があったんですね。さらに詩集も出されている。音楽がついていない言葉もたくさん書かれているなかで、歌にする言葉とそんなに違いはないのかとか、そこらへんを伺えたらなと。では、いきなりですが、どうやって書いているんですか?
柴田:えー!(笑)
水野:丸投げ(笑)
柴田:どう書いているのか…。10年ぐらい曲を書き続けているので、それなりに、「こう書いている」はあるとは思うんですけど。厳密にいうと、毎回よくわからないんですね。「これって、どうやって書いたっけ」って頻繁に思いますし。メソッドみたいなのはあるにはあるけど、ほぼ毎回、悩んで書くだけです。
水野:何が見えているんですか?
柴田:いや、何も見えてないかもしれない(笑)。
水野:僕、本当に理屈っぽくて。言葉ってたとえば、「これ本ですね」って、本を指し示しているじゃないですか。そういう記号だなと思っていて。「私はあなたを好きです」って書いたら、主人公がいて相手がいて、「好きです」という想いを伝えている。歌詞もそういう道筋を立てて書いているようになっちゃうんですけど。柴田さんの作品は、誰かに想いを告げたらとしたら、そのまわりにある空気みたいなものがすごく伝わってくる。
柴田:あー、嬉しい。
水野:映像みたいに見えてきたり、匂いを感じたり。言葉で書いてあるセリフの後ろにある気持ちを感じたり。これ、どうやって書いているんだろうって。
柴田:そうですよねぇ…。たしかに、たとえば、「このひとはこのひとが好きです」って、普通にみんなそう思うだろうなってところを、外したい気持ちはあって。それは私のサガみたいなもので。
水野:はい。
柴田:ちょっと変な気持ちになりたいんですよね、どうしても。水野さんは、そういう筋道をちゃんと立てたなかで、やっていらっしゃるからすごい。私は、そこをはじめから外していこうという意欲が結果、「ちょっとよくわからない」って言われる原因だとは思うんですけど。
水野:「よくわからない」って、本当にすごいなと思っていて。それは本当の意味での「よくわからない」ではなくて。“意味がわかる”ってことと、「その感じってこうだよね」って“体感するわかる”ってあって。柴田さんの歌詞は“体感するわかる”なんですよ。
柴田:はえー、嬉しい。
水野:僕は絶対書けなくて。
柴田:そうなんですか?
水野:それがすごい。なぜですかね。
柴田:なんでだろう…。なんか一緒に考える会みたいになっちゃって(笑)。
水野:たとえば、ここに「顔が好き」という詩があって。でもこれ説明しちゃうとよくないんだろうなぁ…。顔が好きってことが書かれていくんですけど、途中で突然、「冷蔵庫や洗濯機や掃除機やテレビなどがないと寂しいと信じ込んでいる」ってスッと入り込んでくるんですよ。
柴田:はい、はい。
水野:これめっちゃわかるんです。そのときの寂しい体感の温度であり、感触であり。あえて「顔が好き」って言っているひとの、その言葉の文脈以外のもので感じる限定みたいなものがあって。…これ言葉で説明できないですね。
柴田:でも、言葉で説明できないものって、ちょっと逃げみたいなところも感じませんか? 私は結構、その状態をナチュラルに、「いぇーい」って受け入れることができなくて。努力を惜しまないようにしなきゃダメなのかなって。言葉にできないものは、世の中にめちゃくちゃあると思うんですけど。頑張って、そこで止まらないでいけたらなって思っているので。こうやってお話しできるのが嬉しいです、本当に。
詞先はほぼない。
水野:もともとなんで言葉のほうに来たんですか?
柴田:私はもとから作文とか本当に苦手で、すごく怒られたりしていたので、文章は書かずにこのまま一生終わっていくだろうなって気持ちはあったんですけど。やっぱり音楽が好きだったので。しかも日本語で歌うような音楽が大好きだったので。歌を作るときに、言葉が伴っているという意識があまりなかった気がします。
水野:あぁー、そうなんですか。
柴田:歌を作っているという感じ。言葉という捉え方は、こうやって誰かに言ってもらうときに初めて知ったというか。自分は言葉を書いているのかぁって。
水野:それは意外でした。普段、曲を作られるときって、シンプルな質問ですけど、詞先なんですか?
柴田:同時かメロディー先が多いかな。
水野:あ、そうなんですか!
柴田:はい。だから詞先はほぼないです。
水野:あれをメロディー先で書いているんですか!
柴田:はい。
水野:天才っすね…!!
柴田:やったー(笑)! 嬉しい。詞があって、曲をつけるのは、誰かへの提供曲ではやったことあるんですけど、なかなか自分の歌ではないな。
水野:自分の声って、どれぐらい意識されています?
柴田:それが私、そんなにないところから始めちゃって。最初、ひとに書きたくて始めて。自分がやるなんて夢にも思っていなくて。そういうキャラでもなくて。「歌いたい」って、結構すごい欲望じゃないですか。
水野:わかります、わかります。
柴田:目立ちたい、とちょっとニアリーイコールというか。
水野:真ん中に立って、スポットライト浴びて。
柴田:そう。「私はギターでいいかな」、みたいな感じから始まっていて。でもまぁ、ひょんなことから自分で歌って、流れ流れて歌っているわけです。なので、自分が歌うことについては、案外考えてない。歌えない曲もいっぱいあります。
水野:作ったけど?
柴田:歌えない。
水野:それで出してない曲もあるんですか?
柴田:いや、下手なまま出す(笑)。いつか歌えるかなって。
水野:素晴らしいですね!
柴田:多分、聴かれているみなさんは不思議だと思うんですよね。「まだ歌えてなくない?」みたいな。
水野:いや、歌えているでしょ! ご自身では歌えてない感じだと思ってらっしゃるとけど、そこも含めてこのひとっぽいなみたいなのもあるじゃないですか。
柴田:そうですね。そのへんで許してもらっている感じはありますね。でも別に私が歌わなくとも。
「私はこう思っているんです」って、言いたくなっている。
水野:今、結構歌っているじゃないですか。
柴田:そうなんですよ。マインドが変わってきちゃって。
水野:どういう感じなんですか、今。
柴田:私は今、歌うことにハマってきていて。
水野:おぉー。しかもひとりでツアーとかやられていますよね。
柴田:そうです。やっと、歌うのが楽しいってなってきて。でもそうなると作る曲が…。今まではさっきおっしゃってくれていたような、まわりのちょっとどうでもいいことを歌うみたいな。それってある意味、私はただの再生機器っていうか。書いた曲を歌うだけなので、気楽なんですよ。自分がなくていいから。
水野:はいはい、なるほど。
柴田:でも歌うことにハマって、自分が歌っているという意識が強くなってきちゃうと、書くことが説教くさくなってくるというか。
水野:おもしろい。
柴田:「私はこう思っているんです」って、言いたくなっている気がして。自分はちょっと今それに悩んでいます。
水野:どっちにいくんですか? メッセージソングになりがちですよね、たしかに。
柴田:そうなんですよ。「メッセージを私が伝えなければ」って気持ちが強くなりすぎちゃって。
水野:多分作品でも、ご自身が出ている濃度って違うと思うんですけど。反応としてはお客さんにどっちがより響きます?
柴田:体感だとやっぱり自分があるほうが響きます、多分。
水野:そうなんだぁ。
柴田:もちろん今までやってきた、まわりの空気を歌うようなこともすごく勘よく受け取ってくれているとは思うんですけど。魂が揺れる!心臓掴まれる!みたいな音楽の特性ってあるじゃないですか。で、必要以上に感情が即動くのはライブで。ライブの場合、「私が歌っています」って表明がはっきりあるほうが届いている、震えている感じはします。
水野:そうですよね。目の前にいるから。
柴田:けれど、作品になるとちょっと違うかもしれない。やっぱり作品って、じっくり何年にも渡って聴いたり、いろんなところで聴いたり、幅があっておもしろいものだと思うので。それはどちらがよいかわからないですね。
水野:僕の感想を言っていいですか。
柴田:もちろんです。お願いします。
水野:今、まわりの部分を歌うときは自分がある種、再生機になって、そんなに自分を乗せなくていいから楽だっておっしゃっていたと思うんですけど。この、まわりで見えているものの取捨選択に、めっちゃ柴田聡子感が出ている気がするんですよ。
柴田:それはそうですよねぇ。
水野:部屋を見ていて、どこにフォーカスするかとか。みんなが暑いって感じているのに、全然違うことを思っているとか。そこに柴田さんが出ている。それは柴田さんじゃないと書けないものだなって思うんですよ。
柴田:嬉しい。
水野:「後悔」の話でいえば、バッティングセンターでバットを振っている姿を見て、愛おしく思ったみたいなことの表現があって。「うわ、すげーな」って。でも、「わかる」っていうのと、「これを僕は見つけられないだろうな」って嫉妬と両方あるというか。そこに柴田さんがある気もするんですけど。
柴田:はい。
水野:ライブでご自身の気持ちをモロに出していくというか。出していくものが見たいという気持ちも非常によくわかります。
柴田:ですね。私も誰かを見るときに、それは思います。
水野:それがライブと録音物で違うって、おもしろい話だなって。どっちも選びきれないですよね。
柴田:そうそう。どっちも楽しいことですよね、すごく。どっちもいきたいです。
水野:そこは欲張りになったほうがいいんじゃないですか?
柴田:そうですよね。わがままに。
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