1週間ほどの休養をとった
1週間ほどの休養をとった。
これまでも休みがなかったわけではないのだけれど、これまでの自分にとって休みとはつまり“作業ができる日”“考えることができる日”であったので、たぶん、世間一般の休みとは違ったのだと思う(たぶん、じゃないな)。これまで自分が「やすみ」という言葉を聞いてまっさきに思うのは「やった!作業ができる!」だった。
なかなか理解されないと思うけれど、テレビやらラジオやらいわゆるPR稼働がなくて、打ち合わせの類もない日はつまり『一日の“すべての時間”を作業に費やせる日』であり、上記の稼働がある日は『“それ以外の時間”のすべて』を作業に費やせる日だった。前者のような日は自分にとっては大変貴重で、休みが欲しいという言葉のかげには、結局、そういう感覚が常にあった。家族とわずかな旅行をするときでさえ、いつもホテルは「どれだけ仕事がしやすいラウンジやロビーがあるか」で選んでいた。自分が興味があるのはいかに休むか、ではなく、いかにいつもと違った環境で仕事ができるかだけだった。(後述するが、振り返ってみれば”つくること”も結局、精神の安定をはかるための“休養的”な逃避だった。)
だが、ここで、ほんとうに休もうとした。
休養をしようとした。
9月。いままで大事故もなくやれてきたところで、いきなりいくつか締め切りを落とした。これまでも、今回よりもはるかにタイトなスケジュールの時期というのは何度かあったはずだった。確かに余裕があるとまでは言えなかったけれど、わりと現実的なレベルのスケジュールだったはずなのにこの9月はうまくいかなかった。向き合った案件そのものの難易度がたまたま高いものだったのか?それはそうだと思うけれど、個々の案件とは関係なく、少し違うフェーズに入った感覚があった。
小さな記憶がちらほら唐突にとぶ。だが、日常的な物忘れとは違う感覚だ。抜け落ちる感じだった。人の名前。顔。すでに打ち合わせした話。前に聞かされていた予定。感情の起伏に脈絡がない。作業場でひとりでいるときに不意に激昂してしまう。ピックを落とし、拾うとまた落としてしまう。そんなことに急性的にいらついて、スタジオで大声をあげる。ちょっと手もとが狂って、画面上の思っていたファイルと違うファイルをクリックしてしまう。たったそれだけで怒りが立ち上がってまた大声をあげる。一方で感覚が停滞する。感度が鈍るという感じだろうか。組み上がったメロディが覚えられない。確信がもてない。感動するとか、面白いと思うとか、美しいと思うとか、そういったゆらぎが浅くなるので、自分のなかの良し悪しの判断基準が軸を失い、グラグラとネジが外れているような感じ。だから基準の意味をなさない。基準がないからメロディをいくら書いても価値判断ができない。良い手応えも、悪い手応えもない。ひたすら水の中を手で掻いているような感じ。何にもぶち当たらない。そして眠れない。
これは、くるものが来たのかなと思い始めた。
まだそれを客観的になって“知覚”できるくらいの状態で、一度、休んだ方がいい。そう思った。
だが、それを伝えるのが難しい。
まだ自分は人の前に立ったときは“まとも”だからだ。
ひとりになったときの状況を他者の前では晒さない。晒“せ”ない。それは意識的にそうしているところもあるのだろうけれど、何か自動的にスクリーンに覆われるように、他者を目の前にすると、自分は“まともな自分”をそのスクリーンに映し出す。意志とは関係ない。だから“反射的に”と表現するよりも、さらに踏み込んで“自動的に”とまで言ったほうがいいような気がする。切り替わってしまう。
打ち合わせに出れば、誰よりもよく喋る。頭は動く。笑顔にもなる。きわめて理性的に喋れる。家族の前でも笑える。むしろ陽気にもなる。だから「そろそろ危険な状況かもしれない」ということを、このまともに見える自分から伝えられても、理解してもらうことが難しいだろうなと思ってしまう。
しかし、よりベターな選択をするとすれば、今しかない。今なら自分が止まることで、止まる仕事も少ない。端的に言えば少ない迷惑で済む。だから、誤解されることをひとりで恐れながらも、それを承知で休養を願い出た。その必要があると思っていた。迷惑はかけたと思う。
もともと自分は自分がやっていることに対して、“仕事だ”という意識がいつも希薄だった。“仕事”という領域が不明確だということは、“仕事以外”という領域も不明確であるということと同義だ。仕事とプライベートのめりはりを。みたいな言葉とはいつも対極にいる。
誤解なきように言えば、自分に課された“責任”は感じている。むしろ責任についてはひとよりも重く感じる方かもしれない。結果に対しての恐怖もちゃんと感じている。
楽曲提供なら発注してくれたひとたちの顔が浮かんでいるし、いきものがかりの曲であればチームの仲間たちの顔が浮かんでいる。そして楽曲が世の中に出ていったときの、嬉しくなる結果(反応)、つらくなる結果(反応)、そのどちらもがイメージとして頭のなかを延々と終わることなく、入れ替わり立ち替わり、回転するフィルムのようにくるくると、次々とやってきては去っていく。その時間のすべてにおいて自分自身の心は、自分の技術の至らなさの前に立たされて、顔を背けようとしても、刑事ドラマの取調室で犯人が眼前に証拠を突きつけられるように、ずっと向き合わされている。なんで自分はこんなにできないのか。責任を果たせるのか。期待にこたえられるのか。そういった類の精神的な“重力”は、いつも嫌になるほどねっとりと、この身体にのしかかっている。
だが、作曲するとか、文章を書くとか、ものを考えるとか。自分が為すそれらの“行為そのもの”をどこか尊いとか、誇り高いものだとか、思い切れない。自分はたいしたことはできていないのだといつも思っている。
これはもちろん他人に対しては思わない。敬愛する他の作り手たちが懸命になにかをつくりだす姿にはいつも眩しさを感じている。あくまで自分が為すときのそれらに対してだけ思うことだ。卑近な言い方をすれば、自分の創作など、どこか遊んでいるようなもんだしな。といつも思ってしまう。
3歳の息子が「パパ、遊ぼう」と言ってくる。「パパ、お仕事だから」と返す。
“しごと”という言葉を使うと、なんとなく彼の手を離す理由にできてしまう。3歳でもニュアンスはわかるようだ。パパにはどうやら“やらなくてはいけないこと”があって、それは“ぼくには止められないことなのだ”ということくらいは認識しているのだろう。しかし作業場に行こうとすると彼は背中に言葉をつづける。「パパ、お仕事ってなにしてるの?」といたずらっぽい顔でニヤリとしてこちらを見る。「お歌をつくってるんだよ」と返す。
たまに作業場に連れてきて、色のついたケーブルで遊ばせたり、スタジオのスピーカーで大音量でアンパンマンマーチを聴かせたりしている。彼にとってスタジオは“楽しいことがあるパパの秘密の部屋”みたいなものに思えているのだろう。ようは“しごと”と言いながら、ひとりで遊んでるんじゃないか?ずるい!と言いたいのだ。苦笑いしながら、鋭いなと思ってしまう。
「俺、結局なにしてんだろ?」が常に自分のなかにある。
曲をつくることも、文章を書くことも、考えることも、おそらくそれは自分にとって“しごと”であり、“やらなくてはならないことだ”と他者に対しても胸を張っていいことのはずだが、“しごと”という言葉にただようはずの、なにか立派な感じというか、畏れというか、かしこまった感じというか、そういうものがいつも欠落している。だから作業場に向かうときも、どこか「すみません」と思っている。
つくるための時間が欲しい。学ぶための時間が欲しい。ということはことあるごとによく言ってきたのだが、どこかに申し訳なさと、わかってもらえないだろうなという気持ちがあって、それを口にするたびにいつも気をすり減らしてきた。土砂崩れ直前の崖をぽろぽろと小石が落ちていくように、その後の悲劇をかすかに予感させながら削られていく精神があった。時間をつくるということは、結果として家族に対しては負担を強いることになるだろうし、仕事仲間に対しては与えられた責任を放棄し、なんなら投げつけることになる。
だがいつも時間を求めている。ほとんど病的(実際、病気なのかもしれないが)というほどにずっと焦燥にかられている。自信がもてない自分の創作行為が、少しでもマシなものになるように、もっと学びたいと思うが、それもできない。
締め切りに区切りがついたら、あれを勉強しなければ。
そう思うことが頭のなかの書類棚にうずたかく積み重なっている。とても処理しきれない。一向に片付かない。音楽のこと。機材のこと。理論のこと。世情のこと。思想のこと。最新の作品群。歴史になっている作品群。それらにまつわるあれこれ。会社をまわしていくうえで覚えておかないといけないこと。経理のこと。事務のこと。権利管理のこと。少し時間ができるとそれらのどれかを手に取りパラパラとめくるが熟読している時間はない。付け焼き刃というやつか。身体中、付け焼き刃だらけだ。べたべたと付けまくっている。走っていると落ちるから。またつける。慌てながらつける。目の前から締め切りが迫ってくる。日々の生活が迫ってくる。つけたと思ったらすぐさまこの身から離れていって、そこらじゅうの地面に落ちたまま錆びて朽ちていく刃のかけらたちに「ああ」と声を漏らしながら、それでもしょうがないから今日をやりすごす。
そして、そのなかで浮かんでいく“あたらしいこと”がある。自分の人生の残りの時間をつかって、まだやってみたいことがある。だが、それらはいつも、もっともあとまわしにされてしまって、日々に“あたらしさ”はずっと訪れない。もう数年、書きかけのままの原稿があり、なかなか前にすすまない物事がいくつか自分のすぐ脇でホコリをかぶっている。最初は新鮮さをもって輝いていたはずのそれらが、実行されないことによって自分のなかにとどまったまま、膿のようになってしまう。
その繰り返しのなかで「ああ、これは解決ができないのだ」
…そう思い始めてから、時が自分の向こう側へ通りすぎていくようになった。
時の方が先へと進んでいく。追いかけられない。
この数年間は、その都度、考えなければならない、対処しなければならないことがあった数年間だった。創作に費やした時間と、同じくらいの時間を、それらに費やした。
「放牧」という言葉で、グループを止めたとき。止めることを受け入れてもらうまでの周囲との折衝。止めたことによって世間からグループの名前が忘れ去れないように自分なりに動いた日々。そのなかでこの身が晒されたいくつかの冷遇。軽視。無理解。誤解。グループをまた動かすとなったとき。再び繰り返された周囲との折衝。そして独立。終わらない折衝、業務の引継ぎ、業務の立ち上げ。チームの解体と組み上げ。そこにぶちあたってきたコロナ。精神的なストレスも、奪われる時間も膨大だけれど、まったく創造性の無い(思い出となってしまえば物語として咀嚼され、もはやドラマティックにも思えるけれど)事務的対応、実務の波、波、波。
すべてを自分がやったわけではもちろんないけれど、その一連のなかには、自分がやらないとしょうがないという大きな場面があり、大きな事柄がいくつかあった。
ProToolsの画面を見た量と同じくらい、契約書の条文を見て、あらゆる数字をみてきた。メンバーと自分自身とを守るために、あらゆる人たちとタフな話し合いをしてきた。その姿は明らかにプレイヤーでもクリエイターでもなかった。冗談で「顔が地味だから、マネージャーと間違えられるのです」とよくライブのMCで話してきたが、そこらへんのマネージャーよりタフな業務をいくつかこなしてきたと思う。メンバーさえ知らない場面がいくつもある。
一方で、そんな自分を強引に裏返すように、ひたすらモノを書いていた。発表されただけで年間数十曲の楽曲提供をし、そのうえで自分たちのアルバムをつくり、いくつかの連載を書き、HIROBAの作品と原稿を書いてきた。世に出ていないものもいくつかある。(その常軌を逸した自分の稼働ぶりにたいして、グループは“放牧”として止まっていたから、表向きには“休んでいる”とされるギャップにもいくらか苦しんだ。この文章を読んで、また休めばいいじゃないか、“放牧”すればいいじゃないかと、無理解に言ってくるひとの顔がすぐに浮かぶ)
こうやって愚痴めいて書いていると「情けねぇ野郎だな」と思うとともに、今さらながらに気が付くが、そりゃ「病む」わなと笑ってしまう。どうして気も狂わず、走れていたんだろうと思うけれど、皮肉だが“つくること”があったからだとは今は思う。
完全休養をしてみて、自分の状態が、思っていたよりもひどかったことを感じた。
“仕事”と呼べそうなことについては、すべて考えることをやめた。いつもなら湧き上がってくる焦燥をすべて無視した。焦燥はいつも泉のように湧いてくるから、外に流して棄てた。自分のことをすり抜けていく時間に手を伸ばそうとすることはやめた。すべて過ぎ去っていけばいい。夜は眠れないので、朝も起きられない。いつもは息子が起きると、起きようとはするのだが、それもやめた。いつも多くのことをまかせてしまっていたが、それ以上に妻にまかせた。朝のわずかな時間だけれど、ベッドからしばらく起き上がることを断念した。
死にたいとは思わなかったが、炎が消えていく感じというのはすこしわかった。
落語や昔話かなにかで、寿命をろうそくに喩えるものがあるけれど、あのイメージは肉体的な体験から導き出されたものだと思った。それを“経験”として実感した。
活字を入れた。本だけに頭を浸らせられるときというのは、なかなかないから、次々と字を目に入れた。前からあった好奇心で、時間論を読んでみたいと思っていたので、Amazonのおすすめであがってきた木村敏の「時間と自己」という深く考えずクリックして、読んだ。
自分が予想していた“時間論”とは違っていた。
だが、この偶然選んだ本が、自分の状況を救ってくれた。おおいに助けてくれた。恥ずかしいが不勉強で知らなかった。木村敏は精神病理学の権威だった。
様々な精神疾患の症例に現場の臨床医として向き合ってきた木村敏。治療を試みるなかで得られた多くの具体的な事象の知見。目の前の患者の姿という実証に裏打ちされた経験が、深い思考と直接的に絡み合って、精神疾患の本質を突きながら、そのまま哲学的な地平までえぐり取るようにたどっていく本だった。それらを、この1週間の自分は、もっとも“実感をもって”読める状態だった。
自分がたどってきた日々で知覚しているあれこれを、そこに照らし合わせると(おそらく都合の良い“読みかた”をしたところや、こじつけて理解したところもあるだろうが)とてもよく理解できた。書かれている難解な文章が、自分の極めて個人的であるはずの体験を通して実感でき、イメージが像を結ぶという、不思議な読書体験だった。少なくとも前よりも自分を整理できた。
自分がこの“忙しい”数年間で、おそらくひどく疲弊していた精神であったにもかかわらず、なぜ、なかば取り憑かれたように、毎週のように曲を書き、原稿を書いていたのか。たぶん、それは本の言葉を乱暴に借用して言えば、“祝祭的な「今」”への逃避だったのだと思う。
書くことに追い込まれていたのではなく、書くことで逃げていた。
書くことで自分を保っていた。“書けて”いたのではなく、書かないと、壊れてしまっていたのだろうと思う。書く時間だけは我を失っていた。自分は「今」に接続していた。書くことは十分に自分の“身体”を疲れさせたが、精神としての“自分”は、書くことをなかば痛み止めの薬のようにつかって、日々を保っていたのだと思う。
休養して、書くことさえやめて、なにもせず佇んだときに、そこに残っているのは、ただひどく疲れているだけの“身体”だった。
回復という言葉が正しいのか全くわからない。わからないがその言葉でイメージするような状況に近づくとするのなら、「時間と自己」を読んでその端には、手をかけたような気がする。
この文章さえ、救いのために書いている。
別に公開しなくても良いだろうし、書かなくてもいいはずだが(そりゃ、表にでる人間として書かないほうがよっぽどいいだろう)この疲れた“身体”である自分は、自分を”まとめる“作業をしなくてはならなくて、そしてそれは誰かに読んでもらわなくてはならなかった。
他者を前にすると、スクリーンが変わり“まとも”になってしまう自分。そのスクリーンの奥にいるこの“自分”。両者をゆるやかに統合するためには、他者にもわずかにその奥の自分を知ってもらう必要がある。
それは、ひたすら不器用でまわりくどいが、ここに書くことで精一杯なのだ。
対人関係のなかで、つまり他者を前にした会話のなかで、それを伝えることは自分は上記の理由で原理上とても難しいから、他者のいない“場”に、文章としてそれを落とし、それを他者に拾ってもらうしかない。(なぜ自分がHIROBAをはじめ、”場”にこだわるのか、すこしわかってきた)
そしてゆるやかに、その連続のなかで、他者との距離感を変化させていき、結果として“自分”は変わっていくのだと思う。
“他者”と“自己”と“場”とのたえまないやりとりのなかに、ぼんやりと立ち上がっていくのが“自分”という存在だとすれば、その像に変化を与えるためには、それぞれの関係を静かに揺らがせるしかない。
すこしとりとめもない、ことによっては難解に思える文章になってしまった。
だが繰り返すけれど、今の自分は、そうやって思考を走らせることで、なんとか自分を保ち、自分を救っている。この文章は、その作業だと思う。
たんなる「休み」はおそらくあまり意味をなさない(肉体的な疲労はとったほうがいいのだろうけれど)。だから「休んだ方がいいよ」と、誰かが間に合わせでいう言葉に、たぶん気持ちは動かない。空虚な時間が目の前に広がっていくことは、今の自分にとって、それほどの意味はもたないはずだ。むしろ、間に合わせの言葉にいずれまた苦しむだけだろう。
自分にとって逃避となっている“創作”を奪う必要はない。むしろ、その“逃避”の色合いを、どうやってより健全(これも言葉が正しいかわからない)なかたちにしていくのかが、自分が向き合う課題だろうと思う。
たとえ“逃避”の産物であろうと、モノはできていく。それがくだらないものであるか、他者に価値を見出してもらえるものであるかは、また違う問題だが、いままでで言えば、少なくともいくつかは価値を見出してもらえるものをつくれてきた。その事実自体に悲しむ必要はなにもない。希望はもてばいい。
もう少し、逃避だけではない、積極的な“遊び”としての色合いをもたせられるような気がしている。そのためにいま自分は、これからの“創作”以外の時間の過ごし方について整理をしていくのだと思う。
書いて、また、少し楽になった。
いくらか、変われる気がしている。
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殴り書きのような文章になりましたが、書き終えて、少し、もう俯瞰になっています。落ち着いてまた前に進めそうな気にもなっています。本文にも書きましたが、なによりも自分が救われるために、考え、整理し、それを自己のなかだけでとどめておくのではなく、誰かに読んでもらう必要がありました。
また寝て、静かに始めます。
水野良樹
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