くろいりんごときいろいそら解題




この作品を描いたのはまだ10代の頃だったと思います。 


きっと作品は自分の子供みたいなもので、
子供に優劣をつけるのはおかしいのかもしれないけど、
この作品は少し特別で、

自分がもう近いうちに死ぬかもしれないと思った時、
これだけは世に出して死にたいと思いました。


ネットで僕のことを見てくれている方はわかると思うのですが、
SNSのアイコンをいつも笑正にしていたのは、この作品が本になるまでは
絶対生き延びるてやる!という決意表明みたいなもので、
今回短編集に収録することができて本当によかったなと思います。



結局突き詰めると
言いたいことは、

「美しいものと大事なものは違う。」
ということで、


実は今YouTubeに上がっている作品で
ほぼ同じメッセージ性の作品があります。
(よかったら探してみてください。)


昔、村上春樹さんがどこかのエッセイで、
誰かの言葉を引用して、
「結局作家が言いたいことは4つか5つしかなくて、
それをいろんな形で言い換えてるだけなんです。」
みたいなことを言ってて、

だとしたら僕が言いたいことの1つは確実にこれなんだろうな、と思います。


たまに「笑正くんみたいな子供だったんですか?」って聞かれるんですけど、
そんなかっこいいことは全然なくて、

子供の頃から自分が変わってるかもというのは思っていたんですけど、
僕は人見知りで、笑正のようにみんなの前で
自分の質問をしたり、意見が言えるほど度胸はなく、
なるべく目立たないように隅っこで生きていました。


ただ変な奴であることに変わりなく、

ことこの国において、出る杭は必ず打たれる
というのは自明の理で、


ある時クラスの中で力を持っている一部の人の癇に障ってしまったみたいで、
小学校の一時期僕もそういう経験をしました。



そしてそれ以降、
中学、高校に上がってからは
一層周りに溶け込む術を覚え、自分を押し殺し、

目立ち過ぎももちろんだめで、
ただ目立たなすぎも逆に目立つからだめで、学校の中、
教室の中でどのポジションにいれば波風立たない場所にいられるか、
ばかり考えてました。
周りの目ばかり気にしてました。


とても空虚な生活だったと思います。


そしてそれは高校のおわり、
ロックというものに出会って漫画を描き始めるまで続きました。

漫画を描き始めて以降は、それまでのリバウンドか溜まっていたものを吐き出すように、
自分の感情や言葉を目の前の白い紙に描き殴りました。


それからは、
実生活でも徐々に今まで押し殺してきた自分というものを出せるようになり、
まるで漫画を描くことが自らとの対話、
カウンセリングのようだったなと思います。(それは今でもそうかも。)


そんな10代の最後、
締めくくりのつもりで描いたのがこの作品です。



今大人になって思うのは、

もしかしたら教室の中には他にも同じような子がいたのかもしれない。
もっと言えば、
たとえ教室の中、学校の中にいなかったとしても、
日本中には、世界中には、
きっともっとたくさんいたんだろうな、と思います。

そして、そういった
同じ孤独を背負った「1人」が寄り集まれば
結構な数になったんじゃないかなぁ…と。


実際この漫画のYouTubeのコメント欄を見ると、過去や今、
笑正へ共感する声で溢れています。



きっと、
たかが運で集められたクラスの中の40人のうちに
自分と心から気の合う人がいるなんて相当低い確率で、、
それは血縁とかもそうだと思ってて…


別にそういったものを否定してるわけじゃなく、温かい家庭だったり、
心からわかりあえる仲間に出会えている人は本当に素敵だと思うし、



ただ、そうじゃない人も中にはいて、

たとえ集められた教室の中、
生まれた家庭の中に
たまたま居場所がなかったとしても
優しく、強くありたいと願って、生きてさえいればそういう人も、いつか心からわかりあえる誰かに
出会えるのではないか、と思っています。


たまに誤解されるのですが、
僕はこの作品を通して「笑正みたいな子を温かく見守りましょう。」
みたいなことを言いたいわけではなく、

周りに迷惑をかけているのだから
それ相応の報いは受けるべきだと思ってます。
それが笑正みたいに生まれてきてしまった人の運命だと。
(でないと成長もしないですし…)


ただ、笑正みたいな奴にも
居場所はあるべきで、 
でもそんな子が、
そこに辿り着くまでにはきっととても長い道のりが必要で、
もしかしたらそこに辿り着くまでの間、
自分は世界で1人きりだと思い、
追い込まれて最悪の選択をとってしまう子もいると思うんです。



だからこそ道中
そんな子の逃げ場、居場所が必要だと思っていて、
それが僕は芸術だと思っています。


実際僕が学校にも家にも居場所がなかったとき
唯一寄り添っていてくれたのは、
親でも先生でもなく
音楽であり、映画であり、本であり、
芸術でした。


大げさじゃなく、
あの曲が、
あの本が、
あの映画がなかったら、
今の僕はここにいません。



芸術というものにはそれだけの力があることを僕は身を持って知っていて、

なので、もし今1人で居場所がないとどこか隅っこで
嘆いている人がいたらそこに逃げ込んでほしいと思うし、


僕がいつも漫画を描くときは、

「ねえ、自分てこんなダメなやつでさ、」
「実はこんな汚いこと考えちゃってさ、」
「ねえ、こういう生き方ってかっこよくない?」



と、あの頃の自分と似た誰かに話しかけるようなイメージで描いています。

教室にいる40人のうち、たとえ39人には
わからなかったとしても、隅っこで窓の外を見て
実は泣いてる、そんな1人を見つけ出して、大丈夫だよ。と言ってあげられるような、
そんな作品が描きたくていつも漫画を描いています。


それは商業的に見たらきっととても頭の悪いことなのかもしれないし、
数字の面で言えば需要はあまりないのかもしれないけど、
それでも僕はそういうものが好きだし、
そういうものに救われたし、
この先もそういう作品を死ぬまで描き続けると思います。


別に誰かになにかをしてあげたいとかそんなおこがましい話じゃなく、

単純に自分がそういうものが描きたいというエゴとして。



長々と駄文をすみません。

そういえば、

エンディングの中に一度、
友達と帰る笑正を描こうとして
すぐ思い止まりました。 

それは違う!と。

笑正はこれからも1人で生きていくんです。
そして、たまにおじさんのような1人で生きてる人と出会って、
心の底からわかり合って、
またそれぞれの闘いへ帰っていく。

アメリカン・ニューシネマのヒーローみたいに。

そしてその人を月や夕日に
思い浮かべながら
1人で自分の唄を唄う。 



それが僕の思うかっこいい生き方です。


もし今、世界のどこかで
同じように1人で闘っている誰かに
この作品が届いているのなら、
心底嬉しく思います。




この本を手に取っていただき
ありがとうございました。



PS.


作品内で、
ちゃんと読み込むと、
ある大きな「なんで?」という疑問が湧くような仕掛けになっています。

もしよかったら、
考えてみてください。

疑問を解く鍵は
りんごです。

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