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フィッシュマンズ「King Master George」山中湖レコーディング

「映画 フィッシュマンズ」で明らかになったフィッシュマンズの初期のレコーディングの様子はファンにとっても新鮮なものだったと思う。以前にも書いたがヴァージンジャパンの社長が元フジテレビの横澤彪さんであったことから「映像をできるだけ残しておきなさい」という考えがあったことが結果としてレガシーになったのではないか。「Chappie,Don't Cry」のオーストラリアレコーディングも同僚だったK川氏が軽妙な英語のナレーションとともに押さえているし、2ndアルバム「King Master George」の山中湖レコーディングも自分がハンディカメラかかえて出かけていったことを憶えている。

あの頃の自分はFMラジオへのプロモーションと並行してスタートしたばかりの音楽専門チャンネル、スペースシャワーTVへのプロモーションも担当していた。当時のスペースシャワーはまだ小さな会社だったが音楽好きなスタッフが集まる素敵なチームだった。まだ無名だった当時のフィッシュマンズの渋谷クアトロワンマンライブを収録オンエアしてくれたのもそんな理由で、後にDVDになっている1992年のライブの前にも2回ほどのライブを収録して放送してもらったことを記憶している。そんな経緯もあってフィッシュマンズの特集番組を作りましょう的な話が持ち上がり取材ディレクターは派遣出来る予算がないのでスタジオでのレコーディングの様子を撮ってきてください的なことになった。

ヴァージン・ジャパンのもう一つ良かった点として制作現場に他の部署の人間が比較的自由に出入りさせてもらったことがある。一介の駆け出し宣伝プロモーターだった自分でも当時制作中のアーティストのレコーディングスタジオにけっこうお邪魔させてもらった。都内でのレコーディングスタジオもかなりあちこち行ったし三浦半島の京急観音崎ホテルに併設されたマリンスタジオまで行かせてもらったこともある。夜中までレコーディングして翌朝は観音崎ホテルの美しい景色を見ながらモーニングを食べるという贅沢な体験だった。このように制作中のアーティストやディレクター、プロデューサーとのやり取りを直に見せてもらえたことは当時ヴァージン・ジャパンの制作ヘッドだった大川正義さんの「宣伝プロモーションスタッフにもアーティストの表現したいことを理解しておいてほしい」と言う意向でもあったが、今思えば小規模レーベルならではの大変貴重な体験であり分業化された大手メジャーレーベルでは絶対経験できないことだったと思う。こういったある意味おおらかなムードがヴァージン・ジャパン〜メディアレモラスに存在した。

そんなこともあってフィッシュマンズの山中湖スタジオへのレコーディング取材も一人でカメラ担いで気楽に出かけていったと思う。ディレクターのY君には事前に話しておいたとは思うが今思えばバンドでレコーディングしている現場によくも図々しく入っていったものだと思う。レコーディング自体はすでに開始してから数日が経過しており自分は土曜日の午後ぐらいに到着してそのままスタジオの入ってカメラを回していた記憶がある。記憶もかなり薄れているが映画でも使われていた「土曜日の夜」のリズム録り辺りだったはずだ。スペースシャワーのディレクターからこんな様子を撮ってきてと言われたスタジオの風景やミキシングコンソールやレコーダーが回る様子、時計なんかも映しながら夕食の時間までレコーディングは続いていたと思う。

そして夕食ぐらいの時にプロデューサーの窪田晴男氏から「みんな、夕食後にまたスタジオに集まって」という指示が出たのである。後にコアなフィッシュマンズ・ファンには有名なあの曲が生まれた夜中のジャムセッションが始まったのである。(続く)

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!