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留学編 | 小さな世界への決別と破壊、そして創造

こんにちは、自転車で世界一周をするひろです。今までやってきたことや大きく変わったターニングポイントなどをご紹介します。

今回は大学入学からフィリピン留学を通して感じたことをご紹介します。


大学入学

安易な願望への認識と決別

大学に入学して数ヶ月、今まで育ってきた茨城から東京へという環境の大きな変化があった。ただ何か変化するかと思ったが退屈でつまらなく、毎日2時間ほどの距離を往復するだけの機械化された人間のような動きを続けていた。

その瞬間ふと思った。

このまま自分は『好き』と本気で感じるものもなく、恩師からの思いを形にして何も返せなく朽ち果てて枯れていくのではないだろうか。

そんなことは絶対に嫌だ。

ただどうやったら自分自身は変わることができるのか?そしてどうして今まで僕は変わることができなかったのか?机の上で過去の自分を整理してじーっと考えていた。そして分かったことは今までの自分は消極的であったということ。

何をする上でも受け身、大学に入ったときも「この環境が何かを変えてくれるだろう」という安易な願望に駆られていた。そう、自分は世界がどうにか自分にチャンスを巡り合わせてくれるからゆったりお茶でもしながら待っていたんだ。

"何をしていたんだろうか、、、"

あのとき応援してくれたコーチは自分がどんどん挑戦していく未来の自分の姿を見えたからこそボールをくれたはずだ。主体的にどんどん挑戦していく自分の姿を。

それに僕は全く気づけなかった。そう、本当に心から痛感した。そして決めた、今こそ行動しようと。

フィリピン留学

行動の先陣を切るキッカケ

何かアクションを起こそうと思っていたときにふと、

"海外留学でも行ってくれば"

と親から一言。

その一言から10分後に後先も考えずに僕は25万円の航空券を購入した。フィリピンのセブ島という僕にとっては初めての海外。未知そのものの世界。実際そこには何があるか分からないし、もしかしたらこのお金が無駄になるかもしれない。

それでもいい。僕は本気でそう思った。今まで自分は主体的に動かなかったからこそ何も変化がなかった。だけどどうなるか分からないけどやってみよう。それだけの思いで遂に重い腰を自分の力で動かしました。

セブ島への出発と悲劇の連続

荷物準備をしっかりして、フィリピン留学に向けて飛行機に乗り、まずはマニラへ。

ただここで大事件が発生。なんとトランジットのマニラで飛行機のチケットを落としてしまった。あぁ目の前の景色が真っ白になるというのはこのことを指しているのだろうと瞬間的に感じた。

独特なマニラの空港臭、そこにどさっと座って目がすわっていないフィリピン人20-25名、まるでサバンナのハイエナの群れに一人置き去りにされた気分。ただこれを引き起こしたのは言うまでもなく自分の責任だ。

そこから1時間ほどチケットを探し回っていて何も見つからない状態が続いていた。だからもう諦めようと思っていた、その時!

「ポンポン」と肩を叩いてくれた人の方を振り向くとそこにはなんとチケットを持って渡してくれた女性のフィリピン人がいた。

なんと彼女は拾ったチケットの持ち主を探してくれていたのだ。正直、僕はここは日本じゃないから盗まれて当然だし、もう完全に諦めていた。だから本当に驚いた。

これ以上ないくらい感謝の言葉をその方に伝えてトランジットの飛行機に乗ってセブ島に出発、、、と思いきや、悪天候で飛行機が飛ばないというアクシデントが勃発。

1時間くらい経った時は初めての海外で慣れてないこともあり、

"もう飛行機飛んじゃったんじゃないかな?"

と思い始めて心が慌ただしくなり始めた。

結果、2時間後にようやく動いてやっとの思いで深夜2時にセブ島に到着。ただ深夜の到着ということもあって部屋は入れるのか、ルームメイトを起こして怒られないかなどと本当に不安な気持ちでしかなかった。

不安な気持ちとの葛藤

なぜこの時に僕がここまで不安な気持ちであったのか?その理由はルームメイトだ。なぜルームメイトがポイントなのかというとこの4名の部屋には韓国人が2名いるということは知っていた。

個人としては好き嫌いの感情はなかった。ただ海外に行ったことはもちろん日本でも韓国人とも関わったことがない自分は韓国の情報は日本のメディアからしか拾えなかった。だから逆も然りだと思い、

「日本人がルームメイトになるの嫌だな」
「しかもこんな遅くに来てなんで起こすんだよ」

日本や日本人に対しての感情はネガティブなものなんだろうと勝手に自己解釈していた。

だからこそ部屋の前に到着したくない心の中の小さな拒絶があった。ただここで止まってはいけない。過去に主体的に動けなかったために葛藤を続けてきた自分があっただろう。

そう、僕には前に進むことしか許されていない。体を進めなくては何も変わらない。恐る恐るエレベータのボタンを押して時を待ち、ゆっくりと開く自動ドアへ向かって堂々と進み中に入る。

死刑台に向かって堂々と歩み続ける勇敢な振る舞いに見える。ただ心は生まれたばかりの子羊のような弱々しく、おどおどした状態。身体と心身のレジれ状態のままぐんぐんエレベーターは上がっていった。

そして部屋の前に到着した時、ゆっくりと汚れたドアノブに手をかけてゆっくりと部屋に入った。そこには3名の外国人が既に就寝している状態だった。起こさないよう、物音を立てずに静かに自分の布団に潜りながら速攻で寝た。

固定観念の脱却

翌日、何か頭の後ろで会話しているのが聞こえた。おそらく日本人がいる、みたいな会話だろう。ただこの状況から脱却しないと!と思い、意を決して布団から飛び出してみた。

2秒静寂があり気まずい雰囲気が一瞬流れたが、次に韓国人の方が発せられた言葉に衝撃を受けた。

"君が無事セブ島に到着してよかった。"

意表をつかれた言葉に僕は返答ができなかった。僕はてっきり「Nice to meet you」などの自己紹介からスタートすると思っていたのでその回答のことばかり考えていた。

ただ蓋を開けてみたら予想だにしない、僕を気遣ってくれてた言葉だった。ただ嬉しい反面、なぜその言葉になったか気になって聞いてみた。そしたらこう答えてくれた。

だって日本人が昨日ルームメイトになるって聞いてたけどなかなか来ないから不安になってたんだ。1時くらいまで起きてたけどまだ来なかったから先に寝てしまったよ。

この言葉を受けて僕の中の世界が一気に180度変わった。今までメディアを通しての『韓国』という大きな箱でしか見えていなかったのでその閉ざされた箱をぶち壊してくれた。そして自分の中の狭い地図を大きく塗り替えてくれた。

新しい地図を広げる旅へ

フィリピンでの勉強や遊びなど含めて色々な新しい体験をすることができた。それを積極的にできた要因は1日目の彼の一言が全てだった。だからこそフィリピン留学にかけた費用の30万円は全て1日目に回収された、というかそれが留学で英語を学ぶ以上に非常に重要なことだった。そして気づいたことが1つある。

"新しい世界に飛び込むことは何か好きなものを見つける手掛かりになるのではないのか"

そう、確信に近い何かを感じた。フィリピンでの生活は単純に楽しかったがそれ以上に新しい何かに出会えることにワクワクした。だからこそフィリピン留学から帰国してお父さんの車の中で決意した。

"世界を巡ろう"

フィリピンにたった1ヶ月いただけで自分の中の世界は目まぐるしく変わった。もしもっと広い世界に冒険したら、、、

そう考えただけでゾクゾクした。そしてその感情を胸に『世界をもっと知る』ということを掲げて少しずつ動き出していく。


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