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Re:“経験“は水の泡にならない

努力が水の泡になる?


努力が水の泡になるとは、それまでの労苦が台無しになること。

果たして、それまでの精神的、肉体的な苦労は本当に無駄になるのだろうか?

例えば受験。

受験期間、毎日欠かさず勉強に取り組んでいたが、試験結果がふるわず、志望校に合格できなかったとする。

そしたら、それまで積み上げてきた努力は無駄になるのだろうか?

答えはNOである。

受験勉強を経験したことにより、集中力、忍耐力、思考力、発想力、表現力…etc

様々なスキルが自然と身についている。

つまり、努力は水の泡にならず、“経験“として人生に上書きされます。




ふとした出来事をきっかけに、人生が思うように進まなく停滞してしまった。

すると、多くの人は努力が水の泡になったと思い込んでしまいます。

例えば、1年という長いスパンをかけて、勉強していたのに関わらず、受験が上手くいかなかったとします。

この場合、自分のどこかに“非“がある、目に見えていなく、ないがしろにしてしまった細かい部分があるのは勿論ですが、それに気がつき、再度挑戦すれば問題ないと思います。(ここではシンプルさを重点においています。)

努力が水の泡になる人は、諦めに合理性を見出す能力が長けている人です。

また、笑い話にして気を紛らわすのが上手なタイプです。

受験勉強を真剣に取り組めば、スケジュール管理能力、自身の苦手な分野はどこか、理解力を高めるためにはどうしたら良いのか?自身の人生の方向性は正しいのかが身をもって経験として蓄積されます。

決して無駄ではありません。

また、努力を無駄にしないためには“気がつくこと“と“数字“を意識するのがポイントです。


以前、自分自身で何か社会貢献できることはないかと模索していた時期があり、結果、勉強に関するブログを発信することにした。

ブログを書いたことがある経験者ならわかるが、ブログで成果を出すにはマネタイズの仕組み理解し、前線で活躍している人の方法を模倣し、トラアンドエラーを繰り返さないといけない。
私は病状も絡んでいたためか、あれもこれもしなきゃいけないと頭の中が混乱した状態で答えを見出そうとしていた。
その結果、全ての方法を試してもいないのに、ブログで成果が出せないと思い込み勝手に断念した。
正直、成功している人に聞くのが手っ取り早く、コミュニケーションを取り、互いにWin-Winになるように情報提供し合えば良いだけの話だった。
技術的な面を極めようとしたら、芸術の壁にぶち当たるのを理解していたつもりだが、実際、冷静な判断は取れず、アマチュアとして限界を感じた。
ただ、このような挑戦でも、やってきたこととして経験として蓄積された。
そのおかげで今では、情報発信とは何か?という真にたどり着くための手掛かりを見出せたし、簡易ではあるが動画編集スキルが少しだけ磨く機会が作れた。
また、自信喪失を経験したおかげで、自信について深く学べる機会も作れた。
あと、やってきたことが水の泡にならないようにするためには?という問題に直面し、解決する機会も作れた。
どんなに小さなことでもやってきたことは経験なので、どのような形であれ自信を持って表現して欲しいと思う。
できたことは変わらないのだから。

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