10/21の夜のフリートーク

こんばんは。
Hiro_Matsunoです。
今日は色々考えさせられた1日でした。

今日の反省

ついに話しました。
俺の大失敗談。
2000/12/26に起きた出来事の話をしました。
悪夢のメールシステム全断の真相。
あれは本当に凡ミスから大障害に発展したパターン。
一台の待機系サーバが引き起こした大障害。
本当に悩みましたが敢えて言うことにしたんです。
それは手順の大切さを知ってもらうことが目的でした。
2人のうちの1人は実は俺自身レクチャしてくれた方はお世話になっているAさんでした。
しかも2人は当日当直明けでした。
一つの手順をすっ飛ばしたために発生しました。
それはユーザとディレクトリのチェック漏れ。
これやり漏らすと大変なことにつながるんです。
講習中操作していたのが俺だったから安心して任してくれたんですけどこの手順漏れが大変なことになったんです。
待機系サーバのシステムを壊してしまいました。
このあと待機系を探して本番系が混乱した状況になってしまったんです。
とりあえずこの講習会は途中終了になりました。
とりあえず凹んだ自分は何をすべきかを考えたのはしっかりと謝罪することでした。
翌日センター長に謝罪文付きで上司とお詫びを入れました。
それ以降は物凄く手順を気をつけました。
この事故以降のお話を書いておこうと思います。
2年9ヶ月間残ることができました。
そのうち2年は俺は実働部隊のチームリーダとして活躍しました。
この一件が全てを変えたんです。
俺の姿勢を変わり新人が入ってきた時には直接レクチャーすることが多くなり実務外でも業務用の携帯が手放せなくなったほど信頼を受けることができたんです。
光栄なことでした。
当時若輩者の26歳のリーダーについてきたメンバーに今でも感謝しています。
一時は結構ヤバい状態になったんですが正直に今の人数では足りないとお話を入れた時には音声監視のメンバーから5人入って頂けた時には頭が上がりませんでした。
最終的には9人体制になりうまく回せるようになりました。
俺自身も倒れそうになりましたが最後まで全うできました。
今でも言えることはJ-Phone東海支社の非音声司令グループは史上最強の監視チームだと思っています。
今でも胸を張って言えます。
ありがとう。
今でもあなた達のことは忘れることができない存在です。

チームを率いることはすごく難しい

わずか26歳にしてチームリーダーになってしまった俺ですが。
それ以降もプロジェクトリーダを何度も経験することになります。
だけど思うのはいつも炎上現場を何度も経験することになったんです。
ついに鬱病になってしまいました。
なぜかと言うとやっぱり厳しい現場を率いることが多かったのです。
人数も少ない上に火の車の現場を切り回すことが多かったんです。
一番大変だったのは1人開発をしていたS社案件でした。
本当に大変だったのはプロジェクトリーダがリサーチ不足でどんどん膨れ上がる仕様を片っ端らから片付けるしかない状況が続いた時でした。
最大2名状態で分担して開発していったんですが結局相方がリタイヤしていくことが多くなりました。
仕事量についていけなかったんです。
結局は最終チェックした時に色んな問題が起きて結局俺が修正を行うことが多かったように感じます。
最終的には別の会社さんに引き継ぐことになりました。
チームを回すのは本当に難しいです。
まだハッカソンの方が簡単に回せると言っておきます。
本当の実働現場ってかなり難しいことだらけなのです。
このあと3年半リタイヤして復活した時はリーダに立つことを拒み続けたんです。
なぜなら辛いからです。
それは自分が背負う責任が過多になるのが見えていてプロジェクトに入る以上は普通にソフトウェアエンジニアで居続けたかったのも理由の一つです。
無理をしちゃいけないと思う一方ソフトウェアの方向ではない組み込み系にいくことも増えていったと言うこともあります。
組み込み系は難しいんです。
全ての仕組みを理解しないと把握できないんです。
ヤバいなぁと思っていたら自分から精神崩壊を感じてしまったんです。
何も答えることができなくなり考えることができなくなってしまったんです。
それがちょうど1年半前の出来事になります。
会社からは離職勧告まで出てしまったのです。
心療内科と精神科に通うことになったのですが。
最終的には開発に関してはドクターストップでエンジニアリタイヤになりました。
でも、ファウンダーとしてはやっていける知識は十分持っているので今後はDAOを率いることに関して今後話していきたいと思っています。
なぜ決意したのかと言うといつも東京で解決されてしまうのが嫌だったんです。
俺の周りのエンジニアでも同じことが話されることが多くなってきていたのもあり引き受けようかなと思ったのが理由です。
Web3とDAOの実験までは今の治さんはかなり難しい状況です。
COCOAの後始末と東京COVID19サイトの停止と全国展開したCOVID19サイトの停止が待っています。
だから俺が引き受けたいと思ったのは負荷軽減しないとCode for Japanの死活問題につながると思ったからなんです。
発足当時からのメンバーの自分だから判断ができることです。

相当重い話を書いてますが本当に自分が経験したことのほんの一部しか書いてません。
もっとドタバタした現場を経験していることもあってか本当は1日じゃ書ききれない量なんです。
言えることはこれだけのことを積み重ねたことも自分にとっては宝物だと思っています。
今では持続力を取り戻すために作業訓練も取り入れて頑張っていますが。
なかなか集中できるところまでは戻りませんね。
そこまで精神崩壊していたのかと言う気持ちになっています。
ADHDって結構複数に折り重なって障害になっているので一つずつ原因を解いていくしかないんですよね。
DAOは引き受けたいと思った理由も書いていますがもっと盛大なことを考えています。
それはいずれ明らかにしていきたいと思います。

HIro_Matsunoでした。

また、明日。

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