10/23の夜のフリーコール

こんばんは。
Hiro_Matsunoです。
そういえばもう治さんとの付き合いは9年だったなぁ。

Code for Japan結成から9年が経ちますね

そう言えば治さんと出会って9年が経ちます。
Code for Americaが発足11年が今年だったような気がします。
あのTEDを見てみんなが震えたことを今でも覚えています。
その前には及川さんと運命的な出会いをするわけですけど。
それは今はもうないSNSと言えばGoogle+そこでシックスアパート日本法人の当時の社長関さんと大討論をした時運命的な出会いをしたんです。
そのあとTEDがスーパープレゼンテーションが始まり目に止まったのが2013/1/21のCode for Americaのシェニファー・パルカのTEDが目に止まったわけです。
あのあとのハングアウトは大激論だったこと今でも覚えています。
それから何月か経って正式メンバー募集が行われ立ち上げメンバーとして俺も参加したのです。
2015年にセミリタイヤするまで色んなことでよく討論したことを覚えています。
2年間セミリタイヤの後熊本地震でいてもたってもいられなくなり陰で復活を果たすことになります。
そのあとは災害と情報共有の世界では俺・後藤先生・古橋くんがよく出てくることになります。
何故この 3人が上がって来るのかと言うと地図の世界を知っているからなんですね。
災害が起きるとまずクライシスマッピングのチーム立ち上げをしますが。
うまく使える人がいなかった当時はやはり地図マッピングに強い人間が主に活躍していたと思います。
偶然にも3人で活躍することが多かったとだけお話ししておきたいと思います。
そのあと俺が去年から精神崩壊を起こしてしまい一時的に離れることも多くなってきています。
そのあとADHDと認定され精神障害となりましたが今はWeb3の世界で頑張っている唯一のCode for Japanメンバーとして頑張っています。

どうしてCode for Japanを選んだのか

その前年に消防団を自主退団しているんです。
何故かというとお客さんのシステムを作る際に必ず持ってしまうものと言えばお客様のデータというのを持ってしまうためセキュリティーが保持できないと判断したからなんです。
必ずと言っていいほど仕事に拘束されることが多かった俺は結局漏洩事件に近いと言っていい状況に近い状況を目撃してしまったのです。
それは俺のパソコンのパスワードハックにチャレンジした若者2人を目撃してしまったこと。
それからすごく悩みました。
続けるべきかそれとも離脱を選ぶべきか。
俺はお客様のデータを守るために離脱をきめ自主退団を選んだんです。
そのあとボランティアができる組織を探していた時にジェニファー・パルマのTEDをみてその後のハングアウトを見てCode for Japanに入りシビックテックに生きる道を見つけたのです。
それからは色んな活動もしてきましたしハッカソンに参加して評価を上げていきましたが最終的には治さん達オリジナルメンバーがいつも支えてくれました。
だから辞めることもしなくて済んでいるんです。
精神障害と向き合いながら何かできないかと思いDAOを研究する道を選ぶという選択を今年9月にしています。
本格起動は5月後半にしようと思っています。
支援を受ける形にはなると思います。

俺が選んだ道は間違いなく色んなところに繋がっていました。
伊藤秀光さんも2009年に出会いましたしCode for Japanの活動にも深く入っていただいている県議会議員の1人になって頂きました。
中島さんは岐阜県のパイプ役として今でも欠かせない人物の1人ですが一時期Code for Gifuの立ち上げ時に悩んだ上俺は東海ブリゲードのトップ組織であるCode for Nagoyaの立ち上げに俺は移ることを決断します。
そのあとはCode for Gifuの初代代表に原さんが参加いただけた時に思ったのはようは立ち上げは県外の人に任せた方がいいという選択は間違いなかったことを中島さんが示してくださいました。
それ以降やめない選択をしてROM(Read Only Member)を病気や障害で繰り返すことになった時にも治さんならびにオリジナルメンバーに支えられています。
なくてはならない人物に俺はなれたのです。
みんなが居なければ俺は再度立ち上がることができなかったと思います。
Web3は偶然俺自身が写真の可能性を試すためにNFT(非代替性トークン)に手をだしていたこともあり研究に関しては先頭きって動いていたことでDAOの研究を引き受けようと思いました。
東海でDAOの研究をしたいと思っています。
多くのメンバーやDAOやNPOや自治体を巻き込みながら色んなことを模索していきたいと思っています。
色んなチャレンジは今後も続けていきますしITでのボランティアをすることは諦めないつもりです。
Code for Japanの松野弘法は健在であることを今後も示していきたいと思います。

Hiro_Matsunoでした。

また、明日。

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