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生育が良く、開花しても樹勢が衰えないアセビ「星野紅」を育成

             

話し手  山口耕一さん  

 福岡県の南部にある八女市星野村で、アセビ▾、久留米つつじ、サツキ等を生産している山口耕一です。標高が高く人口密度が低い星野村は、星がきれいで「星のふるさと」として、また茶の玉露の最高品質茶の産地で、市の施設の「お茶の文化館」があることでも知られています。我が家も玉露の生産農家でした。

 植物が好きだった私は、16歳で熊本県の農業研究家・教育者、松田喜一▾が昭和3年に熊本県八代市の干拓地に開いた日本初の民間農業実修所である日本農友会実習所に入り、2年間住み込みで畜産・園芸・果樹などの農業全般を学びました。

 卒業して、しばらくは我が家で茶の玉露茶の生産を手伝っていましたが、20歳になった頃、星野村の北側にある田主丸町の植木の卸業者で働き、植木の知識を学びました。そこでは、人気のあった久留米つつじ等の植木が全国の公共工事の現場などに販売されていました。

 昭和30年代になると、急激な経済発展により、公害問題が顕在化してきたことから、都市緑地とともに、工場緑化推進が活発となりました。昭和39年の東京オリンピックに向けて植木の生産が好調に動いていた昭和38年、私は田主丸町の卸業者が販売する植木の生産を始めました。私一人の生産では注文に応えられないことから、一緒にやろうと誘って20人ほどの仲間を集め、生産組合を作って各人が育てた植木を組合に集めて、トラックに積み込んで田主丸町に出荷しました。

 これといった仕事もない時代だったので、植木に需要があることを話すとやって見ようという人がいたので良かったです。公共工事に使われるものが主体で、植えられる場所は各地の公園、公的施設やその周囲、自治体が整備した名所旧跡や観光地等です。

 久留米つつじは、挿し木後4年目のものが出荷されます。その人気は高かったのですが、耐寒性が不足して東京より北の地域では生育が困難です。同じつつじ科地域に自生があるアセビに着目し、昭和40年頃から販売を始めました。

 私たちは、近くの山林や原野に自生している自然木のアセビを挿し木し、1年かけて苗を作り、畑に植えて3年したものを出荷しました。田主丸町の4か所の卸業者には、夏の暑さに弱い樹種なので、東京より北の工事現場に植栽してもらうとともに、北陸、北関東、東北等の植栽現場を視察して、生育良好な場所を販路にするようお願いしてきました。


アセビ圃場で作業する山口さん

 しかし、昭和40年代の末頃から、「花はきれいだが、生育が悪く枯れるものが多い」と工事現場から、指摘されるようになりました。アセビは、花を咲かせると樹勢が衰え、花も3年に1度位しか咲かなくなってしまうのです。そんな声が各地から聞こえてくるにつれ、このままでは公共工事の植栽から外されてしまうとの思いが強くなって気ました。

 そのような中で、私は昭和60年ごろから山林原野を歩き回り、自然交配した強健そうな個体を選び、そのアセビの穂を20系統程採ってきて挿し木し、育て始めました。その中から挿し木の活着と、その後の生育が良く、病害に強く、樹勢が衰えないものを選抜し、「星野紅」の名称で昭和63年に出願し、平成6年に品種登録を受けることができました。
 アセビの開花期間は、4月下旬から3週間ほど、関東では5月下旬から開花が始まります。「星野紅」は毎年白い花を咲かせ、秋の紅葉期から翌年3月頃までの花の蕾は紅色に染まり、とてもきれいです。

星野紅


 多くが公共事業の現場に植栽される植木の販売は、緑化が活発に推進された昭和40年代頃から好調でしたが、バブルが崩壊し小泉内閣が国債の発行を30兆円に抑えると発言したことから受注が減り、更に民主党政権になって急速に減少しました。政権が自民党に戻り、安倍政権が誕生した以降、今は回復基調にあります。私は、販売量が減少したときでも諦めず、組合員と共に良質な製品作りに励んできました。そのため、星野村の生産組合では仲間意識が高まり、団結力が強くなっています。

 山間僻地の星野村ですが、土壌条件に恵まれ、標高500メートルの栽培圃場は夏場の昼に温度が上がらず、にわか雨が多く、緑花樹の生産に適していることから、今後も良質な植木の生産に励もうと思っています。

                                        用語(▾印)説明
 ▾アセビ: 馬酔木と書く。日本各地に分布するツツジ科の常緑低木。
               艶やかな濃緑色の葉と愛らしい小花が古来より親しまれ、庭や公園
               などに植栽されている。
 ▾松田喜一:(1881-1968): 熊本県出身の農業研究者、京育種、著述
               家。農業試験場技師時代に松田式麦作法を考案するなど、革新的な
               食糧増産技術に貢献。日本初の民間農業実修所を開き、48年間にわ
               たり生徒を受け入れ後進育成に献身するなど、明治から昭和にかけ
               ての農業発展に貢献した。 

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