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市議会議員の数と経費の関係を考えてみる

大町市の議員数について

大町市の市議会議員は16名。他の市町村の議員数と比べると全人口26,000人に対して16名は多い方なのか?少ないほうなのか?これは他市町村と比べるまでもなく少ないほうが財政的支出は少なく済むわけだ。いま時点でわからないので後日他の県内市町村データと比べてみることにしよう。
経費節減の対象として考えたときに16名の市議会議員数を少なくしたときのデメリットははたしてあるだろうか?本来議員の役割というのは民主的な投票で市民の代表として年4回の市議会に出席し議員活動をすることである。大町市の財政について本当にその予算を認めてよいか悪いかを市民に代わって判断するためのいわゆる金庫番でもあるわけである。

その視点から考えると、16名の議員のうち何人がその働きを果たしているか?を考えてみることにする。当然のことながら大町市議会は3月、6月、9月、12月に定例会があり誰でも会期中はふらっと言って議場で一般質問の傍聴が可能だ。有線でもケーブルテレビでも視聴可能であるし、インターネット配信もされているからタブレット端末でも使える。このインターネット配信のサーバーが最近までしょぼすぎて何度か大町市に提言を申し上げたことがあるが、それについてはまたの機会に書きたいと思う。

もとの話に戻ろう。市議会での一般質問はあらかじめ各議員から行政側に何についてどんな質問をするか通告してある。これは行政幹部が唐突に難解な質問をされて答えるのに窮することの無いようにするための昔からの習わしだ。ここで問題なのは通告してあれば一本の「シナリオ」ができてしまう。例えば「芸術祭の開催についてこんな事を質問しますから云々」・・・を事前に通告してあるので時代劇の殺陣と同じになる。議員がこう切り込んで来たら行政の部課長がこうやってカワす、みたいなチャンバラ劇になってしまう。実際に傍聴してみれば、その殺陣の巧みさと稚拙さの両面がよく見えるはずだ。チャンバラ劇としては上手いのか下手なのか?よくわからない。

これの解決策としては、企業で言えば定款、規約にあたるもの、行政ならそれは「条例」になると思うが定例会における部課長の説明義務として時間的リソースの無駄使いをするようなアホな質問はできないようになっていれば良いのでは?と考えてしまう。説明をすることに正当な理由が無い場合、誰かの権利を侵害するような質問とか、時間をかけた調査を必要とするケースなど、作為的に一般質問の目的にそぐわないことがあきらかなものは排他的に処理できると思うのだが。そうすれば本当の意味でのガチな市議会になるはずだ。この点については、マジに一回でいいから、市民にはすべての議員の答弁の様子を聞いてもらいたい。そうすれば誰にでもわかることだが、「だれかゴーストライターでも居るんじゃないか?」と疑うくらい原稿をバッチリ作ってあって、しかも読み上げが下手な議員が大勢いる。吉本新喜劇みたいに突っ込みが入らない議員が半数を占める。行政側もあらかじめ用意された原稿用紙数枚を読み上げてるのが手にとるようにわかる。質問→答弁→再質問みたいな展開は殆どない。一応体裁としてそういう形をとっているが、なんでそこで突っ込まないのか?考えると、たぶんシナリオが白紙のままでは再質問ができないのではと想像している。

いやそうではなく、私よりはるかに各市議会議員がお勉強しているからであろう。つっかかりながら読み上げた答弁を一通り聞いて理解ができるらしいのだ。そこまで察しが良いとはさすが市議会議員だけのことはある。一回行政が答弁したらもうそれ以上突っ込まないで相手の阿吽の呼吸みたいなのを理解し行間を読む能力があるのだろう。そんな「超優秀な議員」ばかりが目立つ。「あなたのお話はよくわからないのでもう一回説明してくれ」なんて尋ねるシーンはいままで見たことがない。第一、行政側の説明がやたら長くて本題とは関係のないところから文章がはじまって、紆余曲折を経て最後に結論が出るスタイルが多く散見される。ディベートだったらディスクリートマス(離散数理)的にイェスかノーでわかりやすく議論がかわせるはずだが一貫してそういうスタイルをとる議員は極めて少ない。

また違和感が感じられるのが、なにかしらの事前打ち合わせの影響があるかのような「予定的調和」が感じられる。あまりに質問と回答の問答のラリーのバランスが綺麗なのだ。自分で考えた文章とは思えないくらいの、よく出来すぎた原稿と、その出来具合に反するような稚拙な読み上げのラリーが一般質問中は延々と続く。自分で書いた原稿なら事前に読む練習をするだろうが何度もとちりながら話すので聞いているだけでは意味がとれないことも多い。こうしたシーンは会派がイデオロギー的に右だったり左だったりは関係なく、誰もが確かに感じることのできる違和感だ。意見の多様性なので何を言おうが関係ないが、読みの下手な議員はもしかしたらだれかのリモコンケーブルがどこかにあるのだろうと勘ぐりたくなる。その実態次第で不要な人材が居ると個人的には思っている。


さて、ではこの議員にどれだけの市民の血税が使われているか?令和3年度3月定例会で議会から公開されているの大町市の予算書を見てみることにする。
正式なタイトルは「令和3年度当初予算歳入・再出予算説明資料と令和3年度大町市一般会計、特別会計、企業会計予算書」である。数百ページに及ぶA4版の両面コピーの集合体で、科目毎に赤と青のタックインデックスが貼られている。厚さは4センチ以上にもなる。これを定例会ごとに必要部数つくるのだから係る職員もさぞかし大変だろう。

一般会計214ページ目に記載された本年度の議員報酬は年額58,067,000円、期末手当2.35ヶ月分は22,657,000円。これらの合計で80,724,000円。共済費19,562,000円。すべて合わせて100,286,000円。一億円ちょっとである。

議員の中でも議長や副議長、委員長などで報酬金額は変わるだろうと推測しているがこの資料だけでは不明なので、後日行政の担当者に聞いてみようと思う。とりあえずここからフェルミ推定的に一人あたりの金額を計算してみる。100,286,000円÷16人は6,267,875円になる。年収600万円台のサラリーマンというのは全国的にかなり良い待遇であろうし大町市の中でもそんなに恵まれた企業はなかなか無いのではないか。おそらく共済費というのは福利厚生方面の経費なので純粋に給与分として支払われる金額を精査すると、88,724,000円÷16人は一人あたり年額5,545,250円である。国会議員の報酬と比べると約1/4くらいではある。しかし年収200万円で暮らす人も多いというこの格差社会の中で、しかも過疎化が進み限界集落も見えてきている大町市で(一人あたりの平均で)年収550万円というのはかなりの待遇だと個人的には感じる。

そのへんの計算をしていたら立候補して候補者になろうと思うのも無理ないなとも感じる。だってこの不況下にあって年間550万円もの報酬が約束されるのだから。しかも何期かお勤めすると表彰までされる名誉職の一面もある。そこには働きぶりの査定(評価基準が定量的にできないので難しい)など入る余地が無いので当選すれば3年間は安定した生活が可能なのだ。

この予算書には書かれていないがもしかしたら国会議員の政務調査費のようなものが別途支給されているとしたらさらにこれにプラスされるわけである。そのへんもまた調べてみることにする。こうしてみると知らないことだらけだ。そのことに改めて愕然とした。

市議会議員の顔ぶれ 

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