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[読書メモ] 金解禁: 1920年代における円価格の転換点 "Japan's Return to Gold: Turning Points in the Value of the Yen During the 1920s"

【本記事は3分で読めます】


1. はじめに

【ジャンル】近代日本経済史(論文)
 気付いたらパソコンのフォルダ内にあったので、どういった経緯で見つけてきたのか分かりませんが、1920年代の円ドル為替レートから、当時の市場参加者が金解禁に影響を及ぼすと考えたであろう要因を分析する論文です。

2. 計算手法

 詳細な計算手法に関して興味のある方は各自でご確認頂きたいのですが、本論文ではZussman et al. (2008)にて使用された手法を借用して、1920年代のドル円為替レートの転換点がどこであったのかを探るため、日時時系列に100、200、300、400営業日の期間を設定し、各期間毎でローリング回帰分析を行い、全ての期間で有意な構造的変化が認められた時点を円価格の転換点としています。

3. 結果

 結果は下図の通りです。太字の行が全期間において有意な変化が見られた時点であり、最右の行は、同時点の前1週間・後2週間に「日本」という語が含まれた米国の主要新聞の記事の中から選出された、同時点における主要な出来事です。

本文中より抜粋

 これら5つの転換点は政治的なものと外交・軍事的なものに分類でき、前者は1927年と1929年における憲政会と立憲政友会の政権交代に関連しており、後者は①1922年のシベリア撤兵、②1924年の中国での内戦激化、③日中戦争の前哨戦である1928年の済南事件と関連しています。以下の1922-1930年の円ドル為替レートとも合わせてご覧下さい。

本文中より抜粋

 政治的な要因による変化について、緊縮財政、戦前の平価での金本位制回復、(諸外国からの金本位回復への圧力における)対外宥和政策などを掲げる憲政会の政権下にあっては投資家らは円高を予想し、それら政策に反対していた立憲政友会の政権下では円安を予想したことが要因として考えられます。例えば、1929年夏に憲政会が政権を握ると、その後の円価格は急上昇しており、1930年1月には実際に浜口雄幸内閣によって金解禁が実施されています。

 1922年における転換点(円高)については、シベリア撤兵によるソ連との関係性改善、その後の山東返還による中国との関係性改善が、当時入超であった日本の貿易状況の改善に繋がるだろうと投資家らが判断したことが示唆されます。1924年10月における転換点(円安)については、中国での内戦に日本が巻き込まれる可能性に備えて上海で大量の円が売られた結果と考えられますが、1925年の憲政会による円の価値を支えるための措置により、すぐに反転したといいます。1928年5月における転換点(円安)については、本論文では「中国との外交関係の悪化を受け、日本の金本位制への復帰の意図や能力に対して投資家が疑念を抱いた」ことが理由とされていますが、1924年における転換点と同様の理由も多分にあるでしょう。

3. おわりに

 1930年の金解禁に至るまでの1920年代における為替レートの分析により、当時の投資家らが国内・国外の政情変化にどのように反応したのかを分析した論文でした。興味深い点としては、本文中にもあることですが、金解禁に影響を及ぼしたともされる戦間期の政治制度や関東大震災などについて、本論文の調査ではそれらの為替レートに対する有意な影響は認められなかったことです。

 もっとも、震災に関しては民間人の得られる情報も限られていたでしょうし、大正デモクラシーなどの運動の意義(特にそれによって得られる経済的効果)を国民全体が理解しきれていなかったことなどは理由として考えられるでしょう。

 この様なマクロ経済的な分析は、統計的資料の乏しいことや当時と現代とでの経済構造の違いもあって時代を遡れば遡るほど難しくなるのですが、また何か面白そうなものを見つけたら紹介していこうと思います。

(紹介文献)doi.org/10.1016/j.eeh.2009.01.002

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