死に損ないの話

ふとnoteのことが頭に浮かんだから久しぶりに
もう昔になに書いてたかとか覚えてないから被る部分もあるだろうけど、まぁ俺が覚えてないってことは他の人も覚えちゃいないだろうし

いつからだったかははっきりとは覚えてないけど、少なくとも10代半ば〜後半あたりには「死にたい」「生きてたくない」みたいなことを日常的に考えるようになっていて
その中でも「どんなに遅くとも30歳までには絶対死にたい」って言うのが1つの指針というか目標として頭にあって
そうやって10年以上も覚悟してたくせに、もう30歳になって1ヶ月が経とうとしてるわけで
29歳と11ヶ月になったあたりで一通りのことを遺書として書き残したりもして実行するための環境も整えたのに、本当に惨めというか情けないなぁって気持ちで今でもまだ萎えてる

じゃあなんで死ねなかったのかって話だけど、単純に怖気付いたってのもあるけど、それはあくまでオマケというか失敗したメインの要因ではなくて
30歳までに、っていうのはほんと極小数の人にはかるーーい感じでサラッと話してはいたんだけど、自分にとって一番大切って言える友達にしっかりと、それこそ長文で話したんだよね
それで迷いが生まれたから、っていうのが大きいかな
一応その子の名誉のために言っておくけど、その子の対応に関して俺はネガティブな感情は一切ない
わかりやすく言えば「その子のせいで死ねなかった」とか「その子のせいで縛られた」みたいなのね、そういうのは全然ない
そもそも、自分が「死のうと思ってる」なんてことを事前に話すべきかどうか何ヶ月もずっと悩み続けてて、その上で「話す」っていうのを選んだのは自分だし
「何も知らずに突然突きつけられる辛さ」も「事前に知っていることの辛さ」も両方身をもってよく知ってるからこそ、本当に大切に想ってるなら義理(なんて聞こえの良い言い方したところで所詮はエゴ以外の何物でもないんだけど)を通すべきかな、って

詳しいやり取りに関しては他言するつもりはないから当然ここでも書いたりはしないけど
「自分が死んだ後のことなんてどうでもいいわ、だって俺死んでるし」っていう考えに数年前に着地して、正直その考え方というか、ほとんどの人に対する気持ちとしてはまったく変わらないんだけど
「自分が死ぬことによって苦しめてしまう人」に対する罪悪感みたいなもの、ある種の心残りと言っても良いのかもしれないけど、そういうのをほんのひと握りの人に対してだけは捨てきれてなかったんだなって実感する結果になっちゃったね
まぁそういう部分も含めて自分に萎えてるんだけど

ただ、うーん、上手く言語化するのは難しいところだけど、俺の時間は止まったままになっちゃったというか
なんて言ったら良いんだろうなぁ、凄く雑な言い方をすると、29歳になってからの1年間は特にそうだったんだけど「もうすぐ死ぬんだなぁ」とか「やっと楽になれんのかぁ」みたいなことを毎日毎日それも1日に何回も考え続けてて、そういう焦燥感みたいな、ともすれば義務感とか諦念みたいなものでもあるけど、そういう感覚は今もずっと消えないどころか、日毎に増してすらいて
"いま"はサッカーとかで言うところのアディショナルタイムみたいなもんなのかなぁ、って

とりあえず今日は生きてて、明日も普通に朝目覚めるんだろうけど、それより先のことは未来の自分の決断に任せようかな
もしかしたら明日自分の中で何かが吹っ切れて突然完遂できるかもしれないし、今みたいに"生きてる"というよりは"死んでないだけ"みたいな状態で生きることに無様に縋り付き続けるのかもしれないし
それはいまの俺にはわからん

ただ、今日も死にはしなかった
よく頑張った

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