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アレキサンドライトの続き

瞬きすら、気だるい午後、道を隔てた実家に転がり込んでいた。今日は銀座に外出の母の代わりに、午後に届く荷物を受け取る。留守番を買って出たのだ。此方のクーラーの方がよく効く。
息子の幼稚園のお迎えまでかなりの時間がある。
昼間のつかの間の夢想の時間を楽しむ為にも都合が良い。
何気なく大きな化粧台の前に座る。だいぶん疲れた顔、今朝も預かり猫のチャッピーに足を噛み付かれて5時に起こされた。朝食の催促だ。我が家は貸家でその家の家族はカナダに渡航しており、二匹の婆猫のお世話を引き受けるという条件と開かずの部屋には我々家族は入らないという約束で大きな家を世間並みの家賃よりかなり安く貸して頂いている。母のご近所付き合いの良さがわがやにも福音を授けてくれている。
この婆猫、餌をしっかり与えているのに、ご近所でよく知られている泥棒猫でもあった。
初めは手を上手く使ってガラス戸を開けるのだが、鍵のかかってないガラス戸を身をよじって入る巧みさを見てしまったから、驚いた。ご近所の評判は間違いなく確信犯である。
今日は婆猫達はモグラでも捕まえに行ったのだろう。家の何処にもみあららなかった。
そう、チャッピーの方が若いし身軽なせいか、モグラの捕獲には天才的なものがあった。
娘は小学生でこのモグラを理科の先生に届けた。しかし娘もナフタリンずけになったモグラを気の毒に思ったのだろう。いつのまにか、庭にモグラのお墓が出来ていた。
娘いわく、「お墓に入ったら、生き返ったりしてね。」
幼稚園児の息子が「お化けになるの?」
もうすぐ、夏休みの声もちらほら聞こえる。

さて、鏡を漠然と見つめながら化粧気のない顔に化粧水をたっぷり叩き込んだ。いい化粧品使っているなと思ったが、堅実な母はチフレの化粧水だった。
「偉い、母。」置いてある化粧品を手に取っていると、化粧粉が入った綺麗な瓶が目に留まった。化粧の仕上げにパタパタと叩き込むあの化粧粉だ。
「アレ、何か入っている。」時間はたっぷりある。巫女の感が、ピキンとうごく。
「なんかいいもの・・・」に違いない。でも何で、こんな所に???
ティッシュをひいて、中身を出してみた。
コロン。
化粧粉に塗れた、指輪が出てきた。スタイルは当たり前のスタイルだ。
しかし、私は石の方が気になった。直ぐに額に当ててみる。すると、私は見てはいけないものを見てしまった気がして、即座に額からその石を外した。
そして恐る恐る、もう一度額につけてみた。
其処には、指輪をはめた手が空を掴んでいた。その向こうに馬車が見える。瞬間その手から
指輪がもぎ取られた。その行為をした人間もその馬車に向かってにげていく。
手は力なく落ちていった。「え、何時。?」とつい私が問いかける。
「ロシア革命」と答えが帰る。
「この宝石は何?」と、「アレキサンドライト」とまた答えが帰る。
でも何でこんな所に裸の状態で化粧粉にまぶれていたのだろう?

それから母を待ち「こんなの粉の中にあったけどどうしたの?」

「ああそれ紫水晶だって。」
「え、そんな訳ない。」
「だって名古屋の高島屋のジュウエリーの人がそう言ってた。だから仕立ても普段使いにしてるのよ。」
「ね。一度でいいから宝石鑑別の人に見てもらって。」「だって、高島屋の人が・・・・」
「私の言うことが間違ってなければこれ、私に頂戴。」
「いいわよ。嫌に粘りますね。」母は根負けをした。
結果は銀行の金庫で保管されたのち約束どうり、私のものとなった。
母もロシア革命の因縁つきの指輪は私に渡して浄化して欲しかったようだ。

よくよく、母から話を聞くと、この「アレキサンドライト」は母の義母であるアサノサクの持ち物であった。義父は戦前満州で満鉄の事業に従事したかなりの資産家であったらしい。母は子供の頃からロシア人のピアノの先生が付き。お馬車に乗る生活をしており自分の家の女中さんが奉天市長の何番目かの奥さんになった。と話していた。ロシア人のパン屋さんが宝石も良いものだけを渡してくれたそうだ。義父が癌で別府の病院に入院した時も義母は大層な宝石を持って日本に帰って来たらしい。ほとんどの物を失くしたりお金に換えたりして義母の最後の形見がこの「アレキサンドライト」であったのだ。
アレキサンドライトの紫、赤、青、茶色と変幻自在の色の変化は正に祖母や母の人生だけでなく私の人生を表しているようである。
そんなこともあり、私の一生を語る本にはこの宝石の名前をつけたいと思っている。

この宝石を鑑定してくれた若い宝石商によれば、ロシア産のアレキサンドライトは希少で、
今はブラジル産が多い。又こんなに大きなカラットは自分は見るのがはじめてだとも言っていた。もしこの指輪がアンティークのままなら、もっと希少価値があったに違いない、と言われた。その時の母の顔は忘れられない。
アレキサンドライトはアレキサンドと言う皇帝が生まれた時に発見された、ロシアの石だそうだ。

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