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幸せの定義 共に良くなるための仲間との関わり方

生きていると仕事やプライベートで
色んな立場、責任、国籍、年齢、性別の人々と
否応なしに接する機会が出てくるものだ

学生生活を終えて社会人となり、
ビジネスのイロハも全く知らない駆け出しの若造が
ひょんな事から
瀕死の中小零細企業の経営に携わることとなった

これまで何の不自由も無く幼少期を大阪の地で過ごし
親の加護を享受しながら大学まで卒業させてもらう

その結果、昭和バブル世代の護送船団方式の
安定を求めた
サラリーマン生活を東京ではじめた

その数年後に『人生の転機』が起こり
自分が好むと好まざるに関わらず

それが神様からのお告げだったのか?
はたまた家庭の事情や宿命だったのか?

私は、空調の整ったインテリジェント高層ビルの
籠の鳥、夢や創造力に欠落した
ブロイラー的サラリーマン人生から

一瞬で急転直下で雨の音で電話の声が聞こえ無くなるプレハブ古屋の零細企業の自営業の道に入った
不思議とあまり不安や違和感も迷いも
無かった様な記憶がある

もしかするとその時の自分の中には
選択肢が無かったのかもしれない

会社をはじめた頃は、私も若く血気盛んで
今になって考えると変なくらいに『やる気』だけは
溢れていた

自分がこの年齢になる事や
今の自分の環境も想定する事もなかった

豊かな暮らしや安定、家族や会社を守る
事だけを一心に考え、
ただ、好きな海外貿易や家業のリサイクルの仕事を
一心に営みながら30年駆け抜けて来た様な気がする

若気の至りだったのかもしれない

その頃は、
いつも希望と不安を要り交えさせながら
不思議と前向きに日々過ごしていた様な気がする

そんな会社生活の中もアッと言う間に過ぎて
社会人になって作った会社も創業28年目に入り
自分も気がつくと還暦間近になって来た

振り返って見て自分の人生は果たして
満足行くものだったか?と
自身に問いかけてみると、、、

今はまだ65点ぐらいかなぁ〜と
感覚では思える

残りの人生これからでまだまだ長い
頭の回転や身体のキレは、 
かつての若い頃の様には行かなくなって来た

しかし、これまでの沢山の失敗の経験と言う財産は
若い頃の私に比べてとても頼もしい力だ

この強みをこれからは
存分に生かしながら
ここからが次のステージでの飛躍の人生に
出来る様

自身を生まれ変わらせて見せる

自身の納得の行く人生のために
『(第二の習慣)終わりを思い描くところから始める』

私が死ぬ間際に自分の人生を振り返りどうだったか?

自分の人生は、十分に満足、やり残した事は何もない
後悔は微塵も無くとても清々しく
幸せな人生だったと、、、

その時に心から思いたい

私の幸せの定義って何だろうか?

縁あって関わった、
日本や世界中の仲間と
仕事、プライベートを
通し

考え方や異文化を
共有し合う

違いを認め合い
心を通わせ、
相手を受け入れ認め合う

それ自体を楽しむ


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