「理科まちや」2021年
京都の北大路にある義父の実家の空き家。
この7月に七回忌がやってくる義父を横浜に呼び寄せてから空き家だったのだ。
義父はこの家を恨んでいた。
長男として生まれて、
大事に大事に育てられ、
後継になるために、学校まで決まられて、
子ども時代を過ごしてきた。
縛られたこの家を恨んでいた。
売ってお金にしたいとも言っていた。
だけど、建築の世界で生きる娘そして私は
この家を守ることをしたかった。
なぜかって、だってこの家がなくなると、
関西に帰らなくなるから。
空き家になってしまっていた家。
どうしようか。
学生の娘はそんなことまで手が回らない。
自分の目の前の課題で精一杯。
しかもまだまだヒヨコ🐤
どこから手をつけようか。
そんなことを考えながら、
老人ホームにいる義父のいろいろなことと生活に振り回される。
まだ、次男は中学生だし、
次男が中学3年の時、義父は亡くなった。
「あなたの自宅を改築します。」
義父が亡くなった7年前の7月。
部活の引率で全国大会に子どもたちを連れて行ってた、会津若松のコンビニで見た。
BRUTUS
この本の企画。
娘と話す。
やっと学校を出て新人だった娘。
やっぱり、町屋なので、
アトリエ•ワンだよ。
でも忙しくて、応募ハガキも書けなくて、
放置。
締め切りの10月31日。
その前日に書かないとと思い出す。
明日書くわ。娘がいう。
31日娘が葉書を書く。
ギリギリ深夜窓口があった郵便局。
12時過ぎに持っていく、
消印は間に合わなくて、締め切り過ぎての投函になる。
投函したことは忘れていた。
11月終わりに、貝島さんから電話をもらう。
すっかり忘れていてなんのことかわからんかった。
そこから始まる大改修の話。
元々居場所作りをしたかった私。
家庭図書館?
街の中のおばちゃん先生?
行き場のない思春期の子どもたちの居場所?
子ども食堂?
そう、社会の中の隙間に場所が欲しかった、
だってそれが今の時代の社会が歪んでしまってる大きな原因なんじゃないの?
アトリエ•ワンさんでの打ち合わせ。
いろんな気持ちを吐きにはいた。
京都に行って、現場を見てもらったり、
まあ、ほんとに面白かった。
今の家を建てる時も面白かったけど。
家の中に残ってるものの処分も大変だった。
一番大変なのは仏壇。
いろいろあったし、
手間もお金も時間もかかった。
結局、父の三回忌に間に合うように完成した。
いろいろあったが、
これからどうする?
そんなに簡単にいろんなことを始めることはできない。
自分も仕事をすぐに辞めるわけにはいかない。
雑誌の企画だったので、
屋号をつけよう。
理科まちや
この家を建てた、曾祖父さんの思い。
建ててもらった祖母の思い。
辛かった義父の思い。
改修した私たちの思い。
設計してくれた、昔の大工さんの思い。
そして改修してくれた、アトリエ•ワンさんの思い。
いろんな思いの中、
立ち上がっているのだ。
あの建物には多分意味がある。
何故あの場所にあるのか。
そして、何故この時代なのか。
ただの貸し会場ではないこと。
本当に心の方向が同じ人たちと
作るあげる場だと思っている。
改修の時、予算がなくて、
手を入れることができなかった、
土壁の修理、
ワークショップ形式でやろうと
アトリエ•ワンの塚本さんから提案してもらった。
理科まちやにきてもらっている子どもたちも参加できるといいと。
そんな場所なんだ。
みんなでつくることで学ぶ場所なんだ。
ブランドではない。
みんなの場所になる。
理科まちや2021プロジェクト
始動する。
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