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フラットな心で生きる

なんだか出会ったことのある人生を
もう一度生きている。

火曜日は園芸療法の学びの日。
その学びの福祉施設に行くのに、
電車が止まっていた。

お天気も良くない。
今日は芋を掘るとのことだし、
車で行こう。

今まで何度か車で行ったけど、必ず遅刻するという
失態で、でも今回は違う道から行ってみようと、
わざと遠回りをした。

そうしたら、昔の職場の前を通ることになり、
30年以上前から変わらない景色を見ることになったのだ。

あの時、感じることのできなかった風景が見えた。
そのあと「かまくらみち」を通ったのだけど、

これまた歩いてみたいと思った。
feel度walkだよ。

大きなお寺があったり、
ワクワクする林が見える。

多分、30年前にこの感覚を薄々感じていたはずなんだけど、そこから広がらなかった。

それは自分のアンテナが閉じていたからだからなんだろうな。

いろんなことの感覚は心をフラットにしていたら研ぎ澄まされるのだ。

そうなると、今まで目の前にあったことで気づかなかったことが、見えるようになる。

そして、自分の中でブレてしまうことがあってもちゃんと元に戻っていく。

自分の心の中の真ん中に何を置くか。
もう私は決まっている。
だから、どんどんといろんなことがつながっていくんだよね。

そのつながりは大波の如くザブンざぶんとやってくる。

本当にもうクラクラする。

本当に必要なことは何かと精査されていくのだ。

なんだろね。
生きてきたことって、点のようにバラバラだったけど、今大きな線になり面になってきた。

私は私を生きる。
それだけ。

感染症であたふたしている報道。
騒動が始まった時、
5年はかかるよって父に話した。
父ちゃんはそんなん耐えられないと言ってごねた。
でもそんなものなんだよ。

私はそれよりもサル痘が気になっている。
気になるのは次の感染症。

人類はずっとそれと戦ってきた。

縄文人だったらもう3回目の人生に突入しているくらい生きてきた。
なのにこんな自分なんでちっぽけすぎるわな。

自分を生きる。

noteももっと整理していきたいよな。
そんなことを思いながら、自分は、こんなんだからしょうがない。

さ、今日はどんな大波がやってくるのかな?

あ、次男が北の国から帰ってくる日だ。
明日のライブのために帰ってくる。

日曜には戻るんだけどね。

来週になったら、
大規模なイベント厳しくなるんじゃないかな?
すごいタイミングだよね。

そういえば、
あの大騒動が始まる直前に北海道流氷の旅に行っていた。帰ったら、大江千里のライブ前から3番目楽しみにしてたのに帰っちゃったってことあったなあと。

アタフタしても仕方がない。
自分を生きる。
それだけやね。

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