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ビジョンとミッション

10月になり、仕事の大山が来ているのに、
遊び呆けている。
だから仕事をするときは異常なくらいの量と戦うことになる。

だけど、この土日はぼぉーと過ごすことができた。

半日だけど、山に入り、走ってきた。

激動の9月,
素晴らしい出会いがあった。

「野外で算数」
北欧の教育についての学びだ。

なんでこんなに忙しいのに、
取り憑かれたように参加したんだろう。

自分がしたいのはこれだ。

その反対では去っていくものもあり、
心が騒がしくなった。

基本自分から切ることはしない。
夏前にはこれはまずいと直感的にお断りしたことがあったが、どちらかと言うと鈍感なお人好しなので、大抵のものは受け入れてしまう。
いい加減にその失敗に早く気づいていけば良いのに、
なんだか違和感を感じつつも受け入れてしまう自分がいる。
こちらの意見を言うことで、すり合わせができるかもしれないと、話をするのだが、
意見を言うことで、去っていくことになった。

でも、なんか私が悪い人になってるのかな。
なんだかな。
悪いことしたなあとか、自己肯定感が低いので、
思ってしまう。

でもさ、自分のビジョンと違うことは受け入れなくても良いんじゃないとか思い始めていたところに、昨日、「ビジョンとミッション」と言う話をいただき、
少し立ち止まった。

私にはビジョンはある。
それは言い続けてきたし、
伝えてきたつもり。

ミッション?
そんなことできるような人じゃないよ。
ただ、みんなが幸せになるといい。

そのためには経済優先の考えではないところで人を育てるたい。人を繋げたい。そこだけ。

テーマは自然科学(理科)・子ども・異年齢
そんな思いで、京都の家を改修した。
そこで自分のビジョンを実現したく、
場づくりを始めだした。

なんもできないよ。
あんたはそんな器がないから、
場づくりなんてできないよ。

そんな言葉に騙されたらあかんわな。

どんだけの時間と手間隙と考えを持って、
京都の家を改修したのか。

ミッション?
そんなこと簡単に言っちゃう?
でも、薄々感じていた。

自分にはミッションがあるんじゃないかと。

10代の頃から、
新聞に投書したり、
いろんな発信をしたのだけど、
上手くいっていると、
徹底的に叩かられた。
「女のお前にできることはない」

上手くいかないと
「お前がいなくても社会は回る。評論家みたいなやつが1番ダメだ。お前なんかいなくてもいい。」

親から全否定された。
何度生きていくことをやめようかと思ったか。
自分の子どもたちが私を生きる道に留まらせてくれた。

そんなだから、ビジョンはあるがそこから先を構築する手立てを考えることは、やめてしまっていたのかもしれない。

ミッションだ。
本当の学びを学びたいという気持ちを
金勘定抜きで考えることができる人を育て繋げていく。

本当に自然を環境を守ることのできる守り人を育て繋げる。

そんな社会を作りたい。

失敗も出会いも全て感謝。

さあ!
新しい週がんばろ‼️

週末はまた飛行機で飛ぶ。

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