次のステージに進んでいるんだ
実は今までいろんな思いを持って生きてきた。
子どもの頃から居場所がなかった家庭で、街の中で学び、遊ぶことも今よりはあったものの、思春期はきびしかった。
だから、街に居場所が欲しいと思った。
と同時に、自然の中に生きている私たちの素晴らしさを大阪で働いていたときに受講した大阪市民大学で学んだ。
ここで街の中で学ぶことを知り、街で生きることの心地よさを知った。
で、やっぱり大学に行こうと仕事を辞めて、がむしゃらに勉強して大学に進学した。
ずっとずっと居場所を探している。
子どもたちに自然の素晴らしさを伝えたいと一旦教育の現場に出たものの、30年以上前も、教育現場は凄まじかった。
居場所のない子どもたち。
半端なかった。
だから自分の子どもたちは自分が面倒見ると、教育現場を離れた。
子育てをする中でいろんなと問題を感じた。
妊娠し、出産することに対するいろんな疑問。わからないことだらけで、結局、病院→助産院→自宅という、出産場所も変わっていった。
子どもたちの発達課題、学びの場所、受験産業との葛藤。
その時、福祉、心理学を学ぶことが自分には必要だと、放送大学に身を置き、心理学を学んだ。そして、保育士の資格も取得した。
登校しぶり、不登校、学校での進路学習って何さ?キャリア教育って?総合学習って?
親として街の人としても疑問を感じてきた。
10年は学びと街の人に溶け込もう生きてきた。
そのあと、再教育を受けるために、女性フォーラム(現在フォーラム)で再就職講座に身を置いた。
そこで、パソコンについて、必要性を感じ(遊びとしては写真の加工だとかホームページを作るとかはしていたが)Word Excel Power Pointなどの使い方を習得した。
一旦研究補助の仕事についたものの、やはり、自分の子どもが置かれている教育現場になぜか不安があった。
そこでまた、1年家にいることにした。
そこで、街のおばちゃんせんせになろうと、某企業の受託という形で、私塾を開いた。また、社会が求めているもの?親御さんの迷いいろんな問題にぶち当たる。
そうこうしていたら、理科の先生が足らないと、非常勤講師の話があり、高校現場に戻り、若い頃の爆発的な子どもたちの力がなくなっていることに気づき、不登校の子たちの受け入れをしていた、通信制高校に移ることにした。
そこで子どもに言われたのは、先生に中学時代に出会えていたら、きっと学校に行けたと。そんなことはないかと思ったけど、ちょうど息子が小さな交通事故に遭い、遠方の職場なあかんなと、臨時任用登録に行き、近場の学校現場を覗くことをしようとした。
4月から1年間担任してといきなり言われた。
1年だけのつもりが、何故か採用試験まで受けてしまい、11年も臨時任用→正規職員で働いた。
もう少しやっていくのかな時思っていたところに、コロナ騒動。
新しい教育に出会いたいと、北海道に行くかもとやめようかと思ったのが半年前。
面接は進んだものの、結局、その町の教育委員会が求めていた新しい教育の先にあるものはなにか。田舎でも有名な大学に進学できるだったらしい。(内緒)
ふられた。
でも、なんか教育にこだわりがあるからその周辺で、泳ぎながら少しは稼ぎたいと思った。
でも両親の介護問題が急に大きくなっていた。
もう、ステージは進んだ。
違うんだ。
自分が求めていた居場所を作ることが自分のテーマなんだ。
自然の素晴らしさ
学ぶということを
自分の中に持っていながら、
居場所を作ること。
そのために生きていく。
チャンスは来た。
本気だよ。
本気で考え、場所を作る。
学校とか、保育園とかそんな括りじゃなく、もっと大きな括り。
自分の人生を生きることができる社会を作るために、みんなの力を集める。
これだよね。
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