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2023年が暮れていく

2022年秋
息子が孤独の闇に
消えてしまいそうになっていた。

闇の隙間から連れ戻すために必死になっていたころ、
母の貧血がひどくなっていた。
息子のために必死だった。

2023年初春、放置していた息子のアパートを引き払いに北に向かった。
彼の中でいろんなことの整理が始まった。

闇に飲み込まれそうな時は
寝てしまうことに不安が生じていたようだ。寝てしまうと起きれないのではないかと。

そして、母の私は、
彼が寝ている間に違う世界に行ってしまうのではないかと、起きた時の表情を見ることが毎日の日課になっていた。

1年前は起きた時に、
だるい表情をしていることが多かった。

起きてもすることがない。と言っていた。

寝るという行為は、
多分、生まれる前と今生と来世を行き来する練習をしているのかもしれない。
上手く表現できないけど。

3月にアパートを引き払って、
一部荷物を京都の家に送った。
関西にもなかなかいけず、
京都の家も放置したままだったけど、
長男がたまたま遊びに行っていたので、荷物を受け取ってくれた。

その荷物を整理するために、4月に息子と2人で久しぶりに京都に向かった。

新幹線は混んでいて、
隣り合わせで指定席が取れなかった。

息子は不安そうに座り、駅弁を食べることもできていなかった。

名古屋が過ぎ、米原駅を通過した頃に、
「もうすぐ京都だよ。」と声をかけた時に
「もう大阪過ぎたの?」と返事した。
見当識障害のような状態。

京都駅に着いた時に、薬を持ってくるのを忘れたことでパニックになり、
家に着いて、気になるものを開けて、
その日着で荷物を送っていたので受け取り、とんぼ返りで横浜に帰った。

滞在時間1時間あまり。

翌日は久しぶりに両親の施設に行く予定だった。
(2023年12月29日記)

そして、その時滞在1時間で帰ったことは大変な事件に巻き込まれないためにだったのか。はたまた、母が体調が悪いことを私たちに伝いたくなかったのか。

その翌日、父は母を連れて、施設を離設したのだ。
それも、たまたま妹が通帳を記帳して、おかしな出金があったことで発覚した。

タクシーでATMコーナーに行き、その後バスでバス停を降り過ごし、母と二人で徒歩で施設に帰っていたのだ。

コロナが5類になったことで、家に帰る。友だちと飲み会に行くのだと、お金を出しに行った父。

体調が悪く、貧血が進んでいる母に、
早く家に帰ろう。
家のことは手伝うから二人で家に帰ろうとごね続ける父だったのだ。

その後、母の大腸ガンがわかり8月に手術。
9月に再手術。
10月に骨折人工股関節手術。
11月に腎不全24時間透析2日。
12月にやっと退院。
父に会いたいと言っていた母が
会った途端にしんどい顔をしてしまい、
また再度入院することになってしまった。
暮れていく2023年は本当にしんどい年だったと今になって思う。


やっと、noteに辿りついた。
あと少しで母の百箇日がやってくる。

あっという間に時が過ぎていっている

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