見出し画像

学びって何さ

昔、児童養護施設が学区内に二つある中学校で働いていたことがある。

大学を出たばかりの、独身の私は、アホやった。
高卒で就職してから、国立の工学部に進学をして、大学を卒業した。
苦労してるんだよなみたいな、嫌なやつだよ。

児童養護施設は昔子どもの頃住んでいた街にもあった。
子どもなりにいろんな思いがあり、
そこの子どもたちと普通に生活していた。

だが、大人が線を引かせていた。
〇〇の子は、うちによんだらあかん。
〇〇の子は、何をするか分からん。

ものすごく、反発を感じる。
新聞に投書したり、なんで、平等な社会はないのかと。
今になっては詳細は思い出せない。
図書館に残っているはずの過去の新聞を
探索するほどのエネルギーは今のわたしにはない。2022の課題だよな。

脱線した。

20代の私は、
学校できることは何?
なんて思いながら、
福祉と教育がつながらないと行けないのではと思った。

そこで学校には限界がある。
私なんて何もできないと、学校現場から身をひき、子育てをしながら、
社会活動をしていた(町内会…生協…PTA…など)
福祉の資格が必要だと思い、保育士の資格もとった。放送大学で心理学を学んだ。

なんだか社会全体が頭でっかちになっていくことに、自分の子どもたちがはまっていけないことにも出会った。

みんなに居場所がない。

街のおばちゃん先生になって、
居場所を作りたいと私塾を始める。
また、思うことが出てくる。
子どもたちはかわいい💕
その頃学校現場で理科の先生が足りないと
知人に呼ばれる。現場に戻ったら、
子どもたちに居場所ないやん。
なにこれ?
非常勤で呼ばれてから常勤に結局、正規採用まで。14年間やり切った。

そこに落ちてきたのは両親の介護。
間に舅の介護もあったよ。
夫が対応していたし、舅は自分の立ち位置が理解できていたので、ちゃんと自分の居場所を持ち続けようとした。(それが最後に大変だったけど)

子どもたちに居場所がない。
大人たちにも居場所がない。
高齢者にも居場所がない。

居場所がないとそれぞれに居場所ができ始めた。
でもそれは縦にも横にもあんまり繋がりができない。

多様化の社会と言われつつ、
自分と違う人たちと交わらない。
関わらない。排他的な動きがそこここに見られるこの頃。

子どもたちがここに生きていること、
頑張って未来を語ることができる社会を
つくるのは大人。

でも、大人も居場所があるようでない。
自分周りを囲うことで必死だったりするんだ。
だから、子どもに閉塞感が伝わっていくんだよ。

みんなの居場所が必要。
大人の方が頭でっかち。

そんなことを
ステキな若者から学ばさせてもらっている。

一生学び。

2022年みんなで学ぼう。

気づかせてくれてありがとう。

https://www.waseda.jp/inst/weekly/news/2020/06/09/75541/?fbclid=IwAR1-ou4hiICDZOK9Sms8Oo4ZMm1RupB3Jdo4tFGmEwRu-fjoiSs4SWzyHrE

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?