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3ヶ月前の毎日はない

最後にnoteの記事を書いてから1ヶ月と少し経った。最後に書いたのは映画についてだった。なんだか、まだまだ呑気に思っていたんだな。あの頃は。

あれから1ヶ月経って、いろいろなことが言葉にならず、オンラインの集まりにも、数回出たけど、なんだか言葉にならない。自分の気持ちがまとまりがつかなくなってしまった。だって、時代が急速に進んでしまったからだ。

オンラインでいろいろな催しが行われるようになった。なんとオンライン飲み会と称して、突然夫の友人から電話がかかってきた。「飲み会しているから、zoomに入ってよ。」と。

学校は休校。解除になるかと思ったら、連休明けまで休校継続。2ヶ月もなんの予定もないままに、休み続ける学校。大学に至っては、オンライン授業とか言いつつも、やはり困難なことが多くなるようだ。そりゃそうだわよ。急にいろいろなことが変わるのが大変。

そうだよね。本当にギリギリのラインで毎日生活をして、息をする事すらもできない生活から、急に外に出てはいけない。三密は避けよう。そんな事言われてもさ。

「経済が最優先する中で、社会が動いていた?」

それだけじゃないんじゃないかな?なんて考える暇もなかった。

「学びって何?教育ってさ、何?」

なんてこと考えなくても教育産業に従事できていたわけさ。


あまりにも大きな動きに、自分の気持ちは言葉にならない。

オンラインでいろいろなことに参加することもだんだん怖くなってきた。大人の環境が整っている中で利用することはいいんだよね。

でも、家族みんながそれぞれのスマホやパソコンに向かって、家族と向き合わないことになったら、私はどうしたらいいの?

そして、子どもたちの学びにつなげるには、環境が同じように整っていないと。整っていたら、子どもたちの学びにオンラインは有効?そう、環境が整っていたら、オンライン朝の会がしたい。子どもたちと話がしたい。繋がりたい。でも、環境の違いが、障害なのさ。この障害をどうやって取り除けばいいんだろう。


などと、悶々と考える日々。

もう、3ヶ月前のような日々は戻ってこない。このことにどれだけの人が気づいているのかな?これからの私たちの生活は、どうやって、みんなが生き延びていくのか。自分の健康をどう維持していくのか。自分の人生をどうやって守っていくのか。自分だけでなく、みんなが生き延びるためには、いろいろな立場の人を認め合い、自分ができることを考えていかなくてはいけない。生きづらい社会から、みんなが共存できる社会に変えるときは今。学びを私物化していないけない。みんなが幸せになるために学びを続けていける社会になるときは今。

そのために私はどうすればいいのか。何を伝えていくのか。今週は、そんなことを考えながら、少しづつ、思いを言語化していきたい。





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