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不倫という刻印

フジテレビのぽかぽかを観ている。子供は保育園、仕事は休みで昼食を済ませソファで寝転び平和な茶の間だ。

何とも幸せ。

何だろう、久しぶりにベッキーを茶の間で見て不思議な痛みや苦味に似た不快感を少し感じる。

ベッキーも大変だが、もやは不倫をした女の看板を背負って生活しているんだな。夫はそれを承知でいるのだろうし、生まれた子供達はまだ知らない。

幸い私に不倫経験はない。安全な場所にいる。恋愛で自慢できない一悶着はそれなりに体験してきた。人を傷つけたこともあるし、人から傷ついたこともある。

ただ不倫という事実は女性でも男性でも印鑑のようにその人に刻印される。今目の前のベッキーにもその印がしっかりとついていて、他の演者はそれを弄るし、視聴者もそれを共有する。厄介な十字架を背負ったのだ。

私が20代の頃、ごくごく近しい友達が複数不倫をしていた。彼女たちは未婚でも結婚しても、何か病気のように不倫を繰り返した。相手の家庭を壊すことも、自分の家庭を壊すこともしてきた。それを友達として傍観してきたわけだが、いつの日か彼女たちが本当に壊したのは自身のイメージなのだと思う。彼女たちは現在40代になっているが、いつまで経っても彼女たちの姿に不倫経験があるという印が刻印されている。いつまで経っても、不倫経験が生活に影を落としているのがよくわかる。

例えば私の母も不倫経験がある。私はここ最近になって気がついた。自分が妊娠してやっと母の不倫に気がついた。それからは母の存在に妙な嫌悪感、母をドブのように見てしまう自分がいる。自分の母に淀みがあるのがわかるし、老いれば老いるほどその醜さは増す。もはや母を直視できない。そしてそれを理解しながら母と暮らす父の懐の深さに対して敬服する。

父は間違えたことが嫌いだし、間違えたことはしない。清く正しく美しく生きるなんて日々ニコニコと話す。本当にその通りに実直に生きてきた。父の実直さが兄を守り、母を守り続け、私の生活をも守ってくれている。自慢の父だし、なかなか見たことがない素敵な人だ。

不倫というのは古今東西、永遠に糾弾されるべき人間的な問題だ。

ただ年齢を重ねれば重ねるほど、オバサンたちは異口同音で「不倫?いいんじゃない?瀬戸内寂聴は大好きよ」なんて言う人を散見する。ウチの職場の70代のオバサンもそんなことを言っている。あっちもこっちも「人生色々」と悟ったようなことを言う。

ゴリエがベッキーに優しいんだか何だか、楽しい番組になっている。

まあ、私もベッキーや友達や母親の不倫を糾弾し全否定するほど聖人でもない、普通のババアだし、まあ、普通のババアは若者にとっては存在そのものが醜悪だったりするし。本当は何にも言えないんだ。

因みに、利用者さまに不倫三昧で隠し子までいる男性がいる。妻は出て行ったまま帰って来ない。その事情を知っている女性職員は総じて酷い嫌悪感を持って訪問に行きたがらない。もはや女の敵として扱われている。子供たちも一切寄り付かない。それでポーカーフェースの私に訪問が回ってくることが多い。彼にも不倫の刻印がされている。厄介な老後になっている。

不倫はしないほうがいい。


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