傷つく覚悟があるか。
僕はこうみえて組織の長をしています。
まぁなんというか、なりたくてなったというか、何故か知らないけど人を集めたら勝手にそうなってたという感じなのですが(そりゃそうじゃ (cv:オーキド博士)
で、こうみえてチームのことをよく考えてるわけで、大きな課題のひとつに、どうすれば主体的に考えて動ける組織になるのか?というのがあります。
要は「遊びの言い出しっぺ」ができる人を増やしたいなと考えているのですが、これがなかなか難しい。
これはもちろん組織体制によって改善できることもあると思うのですが、多少先天性というか、本人の性格的なところだったり、チームへの浸透度、信頼など色々と複雑なものが絡んでいそうです。
僕が仮に「社員が喜ぶ制度を考えて、それを見事実行したら5万円あげまーす!」といってもたぶん何も変わりません。
なにが足枷になっているんでしょうか?
僕が思うにその大きな要因のひとつに
傷つく覚悟が足りないというのがあると思います。
適当って楽でいいですよね。
何も考えずにただ楽しめばいい。
でもそれは本当の遊びの範疇。
でも本気でもしやっているなら、そう言うわけにはいきません。
いつかは自分ごとにして、向き合ってより自分の理想とする環境や立場を構築するべきです。
苦しまずして何かを変えることは絶対できません。自分が背負い、苦しんで自分自身が変わる、あるいはみんなを説得して、みんなに苦しんでもらう。あるいはどちらとも。
僕はこれまで何度も経験してきました。
はっきり言いましょう。
どれだけチームと仲が良かろうが、
こういう何かを変えようとする人は孤独です。
「みんなどうせわかってくれないよな、、」
「あぁ、またみんなを苦しいめに合わせてしまう」「嫌われたらどうしよう」
そんな思いでいっぱいです。
協力してくれる人がいないとは言いません。
でも多くの人はそもそも「どうしたら(自分にとってあるいはみんなにとって)組織がよくなるか?」という発想すらしません。
仮に嫌なことがあって、その瞬間だけ思った
としても1時間後にはその現実を忘れてしまっているでしょう。
そう、こういう事を考える時点でいったん孤独なのです。実行するなら尚更痛みを伴います。
でもその痛みを唯一和らげるものがあるとするなら、それは「チームのためだから」ということです。それだけが絶対的な正義であり、自分の絶対的な味方になります。
胸を張ってこれは組織のためと言えるのであれば、ためらう必要は本来ないはずです。
たとえ、知らんぷりする人がいても組織的にはそれはその人が悪いということになります。
これを読んで、どちらの立場においても心当たりがある人が多いと思います。
これからもしそうやって勇気を出してチームに働きかけてくれる人がいたら、賛成するにしろ反対にしろどうか称賛してあげてほしいと思います。
仮にみんなから反感を買い、一度失敗してしまうとそれがトラウマになって次に言い出すのはもっと怖くなるかもしれません。そしてそうやってあきらめていき、やがては思考停止に陥っていきます。
勇気ある提案を、改革を称賛する。
そういう心がみんなにあれば、
もし自分のターンになった時、きっとみんなはあなたの挑戦を見守ってくれるのではなかろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?