ボーイズラブに女は必要か?

「かっこいい男の子がいるとうれしい、かっこいい男の子が二人いっしょにいれば二倍うれしい。そうじゃない?」

とは、友達のYちゃんの言葉だったが、これは間違いなく全ての腐女子がうなずくところであり、BLをはじめ、乙女ゲームや、ジャニーズや、韓流や、テニミュといった女性向けコンテンツが発展してきた理由のひとつだと思う。

しかし、それはまた、「男同士の関係に女子は邪魔」(この「女子」には、コンテンツを楽しんでいる自分自身も含まれる)という感情とも結びついていて、だからこそ、BLや、乙女ゲームや、ジャニーズやその他もろもろの女性向けコンテンツで、「女」の存在はことごとく隠されてきた。

とくにフィクションでいかようにも世界を構築できるBLにおいては、学園モノの舞台が決まって男子校であったり、男子校でなくてもなぜか女子が出てこなかったり、リーマンモノであってもやっぱり女が出てこなかったり、アラブの大富豪はなぜか決まって闇オークションで男ばかりを落札したり、名前つきの女性が登場してもお母さんとかおばあちゃんとか妹だったりして、二人の恋路の邪魔になる女は出てこないのが通常だ。当て馬といったらだいたい男だし、攻めの彼女だと受けが勘違いしていたら攻めの妹だったり母親だったりするのもよくあるパターンである。

やっと恋愛対象になりうる血縁でない女性が出てきても、だいたいは腐女子という設定で、二人の恋を応援する側に回ることが多い。

まあ、別に女の子が出てこなくてもじゅうぶんおもしろいBLはたくさんあるんだけど、たくさんたくさんBLを読むうちに、何かが物足りないなあという思いがつのってきていたのも事実。しかし、そこに、超豪速球を投げ込んできた作品があった。

一穂ミチさんの『ふったらどしゃぶり』だ。

画像1

『ふったらどしゃぶり』


なんと主人公(攻め)は彼女と同棲している。彼女と同棲経験のあるキャラクター自体は、まあほかのBLにも結構出てくるのだけど、だいたいのBLは、たとえば彼女にフラれたところなんかから始まり、その過程は描かれないし、あるいは女遊びはするキャラだって出てくるけど、それら異性との間には気持ち的なつながりはなかったりする(そんで、受けor攻めと出会って「ああ、真実の愛ってこういうものだったね」って展開になるのだ)。だから、現在進行形で異性の恋人のことを愛している男が主人公になるのはなかなか異端なことで、しかもさらに驚くべきことに、前半はずっと、彼が彼女がセックスに応じてくれないことに悶々と悩む描写でうめつくされているという具合である。

もちろん、それだけではBLにならないのだが、ふとしたことがきっかけで、攻めは「好きな同性と同居してるけれど、相手が自分の気持ちに応じてくれない」ことに悩んでいる受けとメール交換をすることになり、お互いの悩みを吐露していくうちに、心かよわせていくというストーリーである。

『ふったらどしゃぶり』において、たしかにメインディッシュは攻めと受けの恋愛なのだけど、読了後に読者の心に爪あとを残すのは、そして読者がもっとも感情移入してしまうのは、攻めが最終的に別れを告げた彼女のほうだと思う。セックスを拒んでいた彼女に、あるトラウマが存在していたことがラストで明らかになり、それが、攻めの立場にしてみれば「そりゃねえよ」って感じなものなんだけど、女子が読んだら「うんうん、そうだよねえ」という……。だから、攻めが「好きな人ができました。別れてください」と告げたとき、猛烈な平手打ちを食らわせつつも潔く「別れましょう」と答えた彼女に、心から幸せになってほしくなった。

実はデビュー作は当時読んだものの、あまり自分の腐女子的「萌え」の方向性が一致していなかったためにスルーしていた一穂さんの作品なのだけど、『ふったらどしゃぶり』をきっかけに最近の作品を読んでみたら、どっぷりとハマってしまい、私のBL棚の一画は短期間で完全に一穂ミチ棚になってしまった。

『ふったらどしゃぶり』ほどに、「男女のしがらみ」がメインテーマと深くかかわっている作品はそこまでなかったのだけど(『ふったらどしゃぶり』の構成の特殊さには、男女モノとBLモノ両方の作品を展開するという「フルール文庫」のレーベルとしての色もかなり影響していたのだと思う)、『ステノグラフィカ』も、なかなかえぐられる作品だった。

画像2

『ステノグラフィカ』

大手新聞政治部記者×衆議院速記官というちょっと変わったお仕事モノBLで、メインカップルのやりとりももちろん楽しいのだけど、やっぱり最も心に残ったシーンは女絡みのものばかり。攻めは昔同期の女性と結婚していたのだけど、自分よりも仕事ができ出世階段をのぼったあげくキャリアを積んだところで政治家に転向した彼女へのコンプレックスをこじらせ、衝突がたえずに離婚してしまったという過去を持っている。そして、そんな過去のせいか、自分を慕ってくる部下の女性記者の思いに気付きながらも、必要以上にそっけなくすることしかできず、それがゆえに部下は自分が「女」であることに負い目を持って必要以上に成果を出そうと躍起になり、結果、枕営業でスクープをとるという手段に出ることになる。

『ステノグラフィカ』と同じ新聞記者シリーズの『off you go』は、幼なじみで同期な新聞記者の二人がメインカップルなのだけど、受けも攻めも結婚経験があり、しかも受けの妻は攻めの妹である。

画像3

『off you go』

受けの妻が受けに突然離婚を切り出したことをきっかけに、攻めは受けへの自分の気持ちに気づいていくのだけれど、そこには常に、受けの妻=自分の妹が介在していて、三人がお互いともに矢印を向けた三角関係が展開されている。『ふったらどしゃぶり』や『ステノグラフィカ』に比べれば「男女のしがらみ」はなりをひそめているのだけど、きわめて対等に、男女を同じ俎上にのせて人間関係を展開しているところが、あまり通常のBLにはない作品だった。
作中で、受けと攻めが街を歩いていて、攻めの元妻と不倫相手に出くわしたときに、そこで決して不快な顔をせずむしろ身重の元妻を気づかう言葉をかける攻めと対照的に、受けが「お祝いにいい言葉を教えてやろうか?『一盗二婢三妾四妓五妻』って言うんだぜ」と相手に侮辱の言葉を吐きかけるというシーンがあって、あれも受けがまちがいなく元妻を同じ土俵のうえで敵対視していることがあらわれていると思う。

これ以外にもいろいろ読んだのだけど、あれ、これって、私がBLでは読みたくなかった「男女のしがらみ」なんじゃないかなあ……と思ったり、なんかBLなのにずいぶんと女性が出張ってくるなあと思ったりしつつも、おそるおそる読みすすめると、なぜだかそのひっかかった部分にこそ夢中になり、読み終わった後もそっちのが印象に残っている、というものが多かった(一穂さんの描くBLの記号的「萌え」の部分が、私の「萌え」る記号とは合致しないことも影響しているとは思うけど)。

大半のBLに女性が出てこず、出てきたとしても顔のない、「女」というラベルだけがはられた存在になってしまうのは、BLというジャンルの性質上しかたのないことだとは思う。現実のゲイの方々の恋愛とは別の、ファンタジーとしての「なぜか男が男に恋をしてしまう」世界観を実現するためであり、かつ、女子たちがBLを読む理由のさらに大きなものである「現実の男女関係における、結婚や出産といったしがらみを忘れたい」という思いに対して忠実でこたえようとするためにそうなっている側面が否めないからだ。

しかし、前者はともかく、後者については、最近それだけじゃつまらないんじゃないかなという気もしてきた。もちろん「ファンタジーのなかでは現実を忘れたい」という気持ちは尊重されてしかるべきではあるのだけど、むしろ顔のある「女」も存在する「男女のしがらみ」がある世界で暮らす男たちがどうして愛し惹かれ合うのを描いたほうが、それのない世界にとどまるよりも、ずっと「愛」とかいうよくわからないものに漸近できるんじゃないだろうかと、一穂さんの作品を読んで、思ったり思わなかったりしたのでした。

(ここで終わりです。あんまりいろんな人に読まれるのが恥ずかしいので有料ノートに見せかけていますが、有料ラインの下には何もないです。でも「投げ銭」いただくぶんにはうれしいです。BL買います。)

いつもありがとうございます。より良い浪費に使います。