ジャック・ザ・リッパー感想③‐自己都合解釈

超ネタバレ含みますので、未見のかたは読まないようにお願いします。
ネタバレを知ると、あの演目は面白さの8割を失ってしまうと思いますゆえ。

ミュージカルJTR、このミュージカルを筋が荒いととるか、余白があるから想像力が刺激されるととるか、評価は割れると思うのですが、今回は余白の部分から、私なりに納得できる"答え"のようなものを考えてみました。

ところで、私の推しの某俳優さん(なぜ名前を隠すw)が、ニコ生で(ちょっと言葉の記憶が曖昧だけど)「物語のメッセージ的なものが観客に届くかどうかは、こちら(創り手側)の力量」みたいなことを言っていて、これについても少しひっかかって考えた。
もちろん、創り手側が明確に伝えたい主軸があるのであれば、それをわかりやすく間違えないように筋道をたてる必要はある。
間違って受け取ってほしくないなら、なおさら。
しかし、これは創り手だけが責任を追うことだろうか?
受け手側(観客)にも、筋道を追いかけるだけの力量(もしくは度量?)はある程度必要なのではないだろうか?
例えば、歴史や宗教的観念が主軸にあるものは、それを知ってるのと知らないのでは受け取りかたは違ってくると思う。まぁ、こういう事実は後から勉強すればよいのだが。
しかし、愛とか人生とか、そういう確固たる形のないものが主軸になっている場合はどうなんだろう。こういうのは100万人いたら、100万人の形がある。大きく分類できることはあるだろうけど。
哲学的な思考って、相容れないものってどこまでも平行線なような気がする。
愛ってなんですか?

前置きが長くなった。

JTRの公式が「愛が招いた悲劇 秘められた真実」とコピーライティングしているこの一文が、私的にはどうも納得がいかない。
パンフレットや出演者さんのインタビューを読みあさっても、どうやらこのミュージカルは愛の物語らしい。

先日からさんざん書いているが、私はダニエルが大嫌いだ。
自分でも引くくらい、物語の登場人物にたいして嫌悪感を持っている。
もう、中の人が好きな俳優さんとか関係なくダニエル嫌い。
ダニエルというか、ダニエルのとる行動が愛っていうなら、私はこの世の"愛"とやらを信じられなくなるくらい、嫌い。

ひとつの原因にアンダーソンに肩入れしすぎていて、アンダーソンの疑いの目で見てるからかなとも思うのだが。

自分の千秋楽を見終わってから、他のかたの感想をあれこれ読ませていただいた。
(観劇続行中はなるべく自分の考えにブレをいれたくないので、できるだけ読まないようにしている)
とある方の考察がとても面白く、そういう見方をすれば私自身はあの物語に納得できるかもという視点に気づいた。
全く知らない方だが、Twitterってすごい(笑)

さて、またダニエルの悪口オンパレードになりそう。

よくよく考えると、1幕はダニエルの告白を再現している。語られているのはあくまでも"ダニエルの視点"
それを聞いているアンダーソンとモンロー、そして観客はもちろんまだ真実を知らない。
盛大なるネタバレをすると、ダニエル=ジャックなわけなのだが、1幕の告白部分では、まだダニエル本人もジャックは別の人物だとの認知だ。
となると、1幕で語られている内容はどこまでが真実なのか誤認なのかがわからない。

ダニエルがグロリアに恋をする理由が弱いとずっと思っていた。
人ってそんなに簡単に熱烈な恋に落ちるか?ミュージカルだからいいのか?とか、そういう情熱的な人もいるのかな?(私にはあり得ない世界だけど)など、色々考えてみた。

そして、私が一番しっくりした考えが

グロリアに恋をしたというダニエルの気持ちも後付け、誤認なんじゃないか?

という結論。

自分が臓器移植に拘るのは、愛のためにやることだから仕方ない、それしか方法はない、自分が良心を殺してまで行う殺人行為の理由付けが『愛』

良心の呵責を『愛』というものに責任転嫁した物語なら、私はJTRを理解できるなと思ったわけです。
なぜ、私がこれほどまでにダニエルに嫌悪感を抱くのかの理由がみつかった。

死んだと思ったグロリアに7年後に再会し、彼女を助けたい一心からジャックを契約するという流れなのだが、

いやいや、ちょっと待ってくれよ。
再会したのは偶然で、ダニエルが英国を再訪したのは学会のためで、グロリアを探していたとかじゃないんだよね。
そして、彼女を助けるためには移植するしかないが、移植は法律で禁止されている。
いや、この"彼女を助けるため"っていうのも後付け理由じゃないのかな?
移植の実証実験(人体実験ですかね?)は法的にできないのであれば、法を破るほどの理由が必要になってくるのではないか。
特にダニエルは本来とても"いい人"だし。

ダニエルの心の奥底にある欲求が、移植手術を成功させたいというもので、しかしそれには殺人をおかさねばならない。
それほどのことをしでかすには理由が必要。
その理由を作り出さねばならない。
愛する人の命を救うためだ。
精神を壊さないために自分で自分の心を偽り、記憶でさえすり替える。
私はこういう心理なら、ものすごく理解できるんですよね。
それくらい、人間って自分でも自分の心がわからない生き物じゃないですか。

ジャック=心の弱さという図式が成り立つと思うし。

で、私がこんなに嫌悪感を抱くのは、偽物の愛を本物のように語るからって部分を感じてしまうからなんだと思う。

私の自己都合解釈なんですけどね。

いや、どんだけ考えても、愛のために闇落ちすることに人生の憐れみたいなものを感じ取れない。
逆に自分の欲求のためなら愛をも利用する、なら理解できるんです。

私自身の思考の偏りですよね。
それで、最初に書いた某俳優さんの言葉のことを思い出したのですが、受け取りかたってやはり自分自身の中にスイッチがあるんですよ。
舞台はやはり鏡だ。

いや、公式見解は『愛の物語』が正しい筋道なのかもしれないんですけど、どうしてもそう思えないので捻り出してみた(笑)

しかし、JTRは初見は内容が薄っぺらいなとも思ったのだが、終わったあとにもこんなにズルズルと思考を掻き乱す恐ろしいミュージカルとはね!
楽曲が同じ旋律の繰返しが多いけど、同じように思考も繰り返されるわ。
この中毒性を暗にアンダーソンのコカイン中毒とリンクさせていたりするのかしら。

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