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アラバスター 観劇感想

東京芸術劇場にて。
手塚治虫漫画が好きなことと、久しぶりに元推しを観に行くか~と軽い気持ちで観に行ったのだけど、思いの外心に刺さった一本。

手塚治虫のすごさ、演出家の荻田先生のこだわり、出演者の適材適所と上手く噛み合った舞台だったと思う。

何より特筆すべきなのは、透明人間の"亜美"を演じる涼風真世さん。
透明人間だから、もちろん姿は見えない。表現方法は声のみ。
その声を自在に操って、亜美は見えないのにそこにいる、存在感が凄かった。
もちろん、涼風さんの力だけじゃなく、影として踊る穴沢裕介くんの美しさとか、照明の使い方とか、他キャストの演技とかもあるんだけど、とにかく終始「涼風真世、すごい」となる。
少女な亜美と女な亜美の演じわけや、亜美の心のスイッチの入り方とか。これはもう百聞は一見にしかず(いや、見えないのだけど!)なので、体験できる人はしてほしい(東京は7月3日まで!)

タイトルロールを演じる宮原さんは初めましてだったのですが、当たり前だが歌が上手い。
そして美しいバリトン。
この人の見ための美醜を問う作品で、見た目はよくぞ原作に寄せたなと感心するメイク。
見た目は醜いが、声が美しいという表現ができるのも、舞台という3次元だからできることなんだよな。
これは私の曲解なのだけど、アラバスターは見た目に拘りすぎていて、自分の持つ魅力に気づけていないという風にもとらえられると思ったのだ。

そして、無視できないのが、ロック・ホーム!ロックは手塚治虫作品には欠かせない存在。
そして、アラバスターのロックは史上最低なくらいに嫌なヤツなのだ。
しかし、ロックは嫌われるだけでは成り立たない存在だ。ロックは人としては嫌いだけどその魅力に抗えないという構図ができないと面白くない。
それを、矢田悠祐くんが持ち前の美貌をフルで活かし熱演されていた。いやもう!綺麗!そりゃあのお顔で「僕は美しい」と言われたらひれ伏すしかない。
そして、徹底的な残虐性。亜美を凌辱した上にペンキで体を塗りたくるあのシーン、人を人と思わない、ただ自分の快楽のための道具として扱うクソヤロウっぷりが最高だった。
あそこを徹底的にやってくれないと、ロックがロックじゃなくなる。

他メインキャストには、ゲンの古屋敬多くん、お母さんのAKANE LIVさん、お兄ちゃんの馬場良馬くん、それぞれが適材適所でキャスティングされていた。

この物語で無視できないテーマが「人の美醜とは何か」ということ。
昨今の"ルッキズム"問題などもあり、考えさせられる。
美しさ醜さは見えるものだけなのか?また見えないものに美醜はあるのか?美醜と人としての魅力は比例するのか?
見えなくても存在するものの象徴として、透明人間の亜美という女の子を生み出す手塚治虫の素晴らしい発想力を改めて感じた。

私は美しいものが大好きだが、その美しさを判断するのは自分自身だと思っている。
人がどう思おうが、自分が美しいと思うものを大切にしたい。しかし、こういう考え方に達することができたのも割りと最近の話で、やはり若かったときは悩みはあったのだ!

美の基準というものは変化する、日本でいうところの"平安美人"とか。
最近は痩せすぎモデルは歓迎されない風潮もある。
ある国では胸が大きいことが女性の魅力の象徴で、ある国では胸よりお尻の形の良さがいい女の象徴だったり。
その価値観っていったい誰が決めるんでしょうね?
この答えは観客それぞれが答えを出すものなのだろう。

この漫画が描かれたのが、1970年の12月から1971年の6月まで。なんと、50年前!
ほぼ原作の流れを変えずにミュージカル化されていましたが、古くささを感じず、むしろ今沸き上がっている問題点とリンクすることに驚きです。
手塚先生の漫画は、タイムマシーンに乗って未来を見ましたか?と思うような描写も多い。
逆にいうと、人間の中に眠る問題は普遍なので、人間の奥底を見る力のある手塚先生は本当にすごいお人だなと思うのだ。
主人公アラバスターは自分のコンプレックスから、自分を呪い、その呪いを世間にぶちまけるわけだが、最近そういった事件が多いじゃないですか。
自分の不幸は他者のせいとする人。
毒を吐くと自分の周りから腐っていくだけなのにね。
この物語、主人公のアラバスターには何の同情もわかないところもキーポイントなんだよなぁ。

私は28日に観たのですが、この日は主演の宮原さんが所属するグループ『LE VELVETS』のミニコンサートがあり、私は初めて聴いたわけですが、当たり前だけど歌が耳心地良かった。その感想はおいといて…。

宮原さんがメイクを落として準備をしている間に、他のメンバーの日野さん佐藤さんがアラバスターの観劇感想を述べていたのですが、その日野さんの視点が面白かった。

「醜いという言葉に囚われている。言葉のなかった原始時代はどうだったのだろう?」という趣旨のことだったのだが、確かに"美しい"や"醜い"という言葉がなければ、そもそも価値観も生まれてなかったかもしれないなと思ったのです。
自分のなかには「あれ綺麗」「これ汚い」という感情が沸き上がるとしても、それを他者に伝える術がなかったら共有できないんですよね。
なかなか深い感想だなぁと感心したのでした。
SNSというツールが発達している現代、無防備に存在する他者の言葉に傷つく人も増えてるなぁと。

他にも色々感じたことはあるのだけど、この辺で終わります。

都合が合わなくて一回しか観られなかったけど、再演があればまた観たい作品。

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