やはり一言モノ申したい『クラウディア』観劇感想

前回の記事で千秋楽を観て幸せになったとかいたのだが、それは嘘ではない心の底からそう思ってる。
しかし、どうにもこうにも治まらないモヤモヤをここ数日、自分の中で整理していた。
見終わったあとに残る不快感の原因、それを突き詰めるのだって感想の1つだ。
感動して泣いて、面白かったと笑うことだけが感想ではない。

配信も購入した(チームKの方だけだが)
配信のいいところは、好きな場面や気になる点を繰り返し観ることができる点。
これは生では絶対にできないので。

結果、自分で気づいたこと。
私はこの物語のある部分に、ものすごく【怒り】をおぼえてしまうのだ。
それは物語の核であるし、見過ごすわけにはいかない点だ。

どうしても見過ごせない、物語の端々に感じられる"女性蔑視"なのではないかという展開、台詞。
この物語が18年前に書かれたもので、18年前は自分自身が丁度幼い子どもを育てていた時期で、当時の社会の風潮などは身をもって知っている。だからこそ「いま、それ言うか?」と思ってしまうのだろうとも思う。
さらに宣伝文句として「今こそ観る舞台だ」みたいなのも読んだので「いま、それ言うか?」ってなってる部分も大きいのだろう。
戦争がダメなことってのは普遍的な真理なので、反戦訴えててそこに感動するのは、当たり前に当たり前すぎるのだ(まぁ昨今、戦争したがってる人が増えてきてるのは気になるので、色んな形で反戦ものが増えるのは良いことだ)

演劇を作るとき、演出家や役者、その他スタッフさんは製作過程でディスカッションし、作品への理解を深めていくものだと思うけど、観客はそれを提示されて、そこから探っていくしかない。
料理を提供されて、使ってる調味料を知りたいと思っても、厨房には入れてもらえないから、自分で使っている調味料を探るしかない。
もしかしたら、隠し味のリンゴのすり下ろしを見つけられなかったから、料理の本来のレシピをわかることはできてないのかもしれない。
でも、料理を提供されたら美味しく完食するか、不味いと思っても残すのもったいないから食べきるか、まずくて残すかは人による。

色んな点でツッコミたいことは山ほどある。
はひこぞう(漢字に変換するのがめんどくさいので平仮名で失礼)とクラウディアが親子だとしたら、じあら何歳やねんとか。
神親殿って一体何者なの?神様だとしたら、なんでアッサリ切られて死んじゃうの?とか。
そういうことは置いといて………。

とにかく、一番嫌なのが「カイキンサイ」という代物だ。解禁祭と書くのがいいのか?
一応、観ていない方に説明すると
この物語は根國と幹國と2つの國が敵対しているが、その両国とも神親殿という女神がルールを決めて統治されている。
そのルールの1つのなかに、女は19歳で初めてカイキンサイとやらに参加し(男の参加年齢の提示はないが、ひこぞうは早熟だったので早めに紛れ込んで誰かにクラウディアを孕ませた設定)
カイキンサイは暗闇の中で相手がわからないままに、本能むき出しで快楽に溺れ、20歳で子を産み(そういう台詞がある)、生まれた子は国民強制(もしかしたら共生?)学校で育てられるから親の顔も知らずに育つと言うものだ。
で、そのカイキンサイの日とやらが、神親殿が12月25日生まれなので、その十月十日前の2月14日が儀式の日という設定なのだが、まずここで、おいおいおい~!!!!!と、妊娠の知識があるものにはツッコミを入れずにスルーすることができない。

まぁ、私本人も自分の妊娠がわかってから「あ、十月十日ってのは間違いで、本当は最終月経から40週ほど(大体9ヶ月くらいかな)なんだ~」とわかった人なので、無知を笑うことはできないが、指摘はするぞ。
まずここでひとつ【妊娠】というものわかってないね。
薄っぺらいな~と思ってしまう原因の1つ。

さらに、だ。
19で儀式を行い、20で子を生む。
子は国の反映の証。
即戦力の男子を産め。
まぁ、台詞のなかに地雷のオンパレードだ。
わたし優しいので(笑)、これはアンチテーゼとして問題定義されている台詞なのかと、出来る限りの好意的な視線で観る努力もしたのだが、何度反芻してもアンチテーゼとしての、それこそ"アンサー"がない。
100歩譲って、アンサーとは自分の中で見つけるものだとしても、ヒントくらいは無いとアンサーを導きだしにくい。
言っちゃうと、不親切。

で、おそらくこれは、クラウディアの純粋さを引き立てるための設定なのはわかる。
クラウディアだけがその儀式に疑問を持ち「子を生むのが嫌なのではなく、愛する人の子を生みたいのです」と言わせるための手段なのだろう。
私から言わせてもらうと「愛する人の子を生みたい」なんてのも、一部の人の幻想じゃんとは思うけど。
その幻想に頼っているからこその、今の少子化だと思うけどね。
少女の聖母性というやつも私は大嫌いなのだが、これは長くなるので割愛。でも、私は某みんなが大好きキャラクターの虫も愛するあの子ですら大嫌いなので察してほしい。

でもさ、同じ女として、この設定には腹が立ちませんか?
クラウディア以外の女は子を生む道具であることに疑問を持たないんですよ。
そういう設定、フィクションなのはわかってます。
だからといって「そうだよね~、これ作り話で、愛のない世界だしね~」って笑って見過ごしてはいけないことなんじゃないかって思うんですよ。
「あの…女そこまでアホちゃいますねん💢💢💢」って思うのは、今の日本の政治家のおじさんたち(中にはおじさん以外の男性や女性も)が同様な趣旨の言動をして、それを今を生きている私たちが聞いているからですかね。
なんか、クラウディアのために他の女性を落とすような設定に耐えられないんですよ。
そこに女性への尊敬や愛が感じられない。
あ、愛のない世界ですから、もしかしたらそこが狙いですか?だとしたら、私を含めて一部の方の感想が「不快」ってのは正解になりますね。
フィクションなんだからそんな細かいとこ気にしなくてもいいんじゃないという方もいるかもしれない。
でも、演劇ってある種社会への問題定義をフィクションの中にこめて提示して、それを皆で考えようっていう存在意義があると思うんですよね。
だから、演劇の中にある違和感に対して、黙ってちゃいけないような気がするんですよ。
小さいことかもしれないけど、小さいことを見逃さないようにしたいし、おかしいと思うことにはちゃんと声をあげたい。
これから、新しいお芝居を作る方々に、こういう意見もあるのだなというのをわかってもらいたい気持ちもある。

物語にかかれていないことまで考えてしまうのが想像力というやつだが、私の想像力を駆使すると、クラウディアの世界では妊娠しなかった女性は地獄なんじゃないかと思うのも不快の1つ。
妊娠させた相手がわからないことで、妊娠という結果が女性ひとりのものになってしまうのだ。
不妊治療の原因は女性側だけの問題じゃないことは、やっとここ最近で明るみになりつつあるけど、まぁ今でも女性側に責を負わせる人はいますね。
「子を産んで一人前」という風に感じられる箇所が多々あるのですが、妊娠って実際はセックスしたらすぐ子ができるものとは違うのわかってるのかなってなる。
実際に私の周りだけども、妊娠の傾向が見られても何度も流産を繰り返してやっと授かった友、出産時の出血で命を失いそうになった友はいる。不妊治療のうえに諦めたという友だっている。
妊娠出産って簡単なもなのじゃない。
それを、できて当たり前のように書かれているのにも嫌悪感しかないのだ。

このあたり、神親殿によって適当につがいをあてがわれるほうがまだ理解できるかもと思ったんだけど、それこそ直近でこの話題はヤバすぎのヤバすぎだった!

他にも、じあらとひこぞうの幼なじみトークの中だったり、「おばちゃんトークは止めろ」といった後に「安売り買いにいかなきゃ~」みたいなので笑いを取ろうとしたり、ギャグがもう古いとこもある。
それも18年前は許容されていたと思うよ、テレビなんかでもそういう笑い多かったですもん。私自身、その頃にそれを疑問に思っていたかととわれると自信はない。
でも、18年かけてアップデートを重ねて、今はそれはちょっとおかしい笑いだなってのはわかってきてる(はず…)
私たち世代の頭の固さでは、若い人たちに比べると3倍は繊細に丁寧に物事をみないと、簡単にはアップデートできないことは自覚すべきだ。

この脚本を書かれた岸谷さんをアップデートできていないとは決めつけられない。実際にお話したことがないので、今の考え方を知る手段は私たちには無いので。
脚本を変えると作品自体が壊れるのもわかるので、安易に内容を変えろとも言い難いが、現在には通用しない価値観が含まれていることには目を向けて頂きたいと、一観客として願う。
演劇界では力のある方だと思うし、演出力はある方だと思うんで。

エンターテイメントとしては満点の舞台だったと思う。場面々々の構成力などは素晴らしい。

しかし、演劇として観たときに、私としては辛口感想になってしまう。

これは私の感想なので、他の方には他の方の感想があるでしょうが。
そして、辛口感想を書いてしまったからこそ、他の方には人の感想で判断せずに、自分の目で観て自分の感想持ちましょう、そこでそれぞれが考えればいいと思いますよって言いたい。
そこで、私の感想に寄り添ってもらえるなら、けっこう嬉しい。

『クラウディア』大阪公演は29日から31日まで。森ノ宮ピロティホール。
チケットまだあるのかな?チェックしてないからわからないけど。
悪口になっちゃったかなという罪悪感から、宣伝残しておく(私って小心者だわ…苦笑)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?