10年と数日


まだこどもが興味を示さないうちからなんとなくEテレを付けっぱなしにしておく生活が何ヶ月か続いて、気付けばおれの方がむしろよく熱中して見るようになりました。4〜6歳向けの番組のなかでは喋って動くイスの声を演じているサバンナ高橋さんが、別の民放のバラエティに出ているときにも、というよりむしろそういう時こそじっくり観察してしまうようになっています。ファンと言っても過言ではない。Eテレの番組には音楽もいいものが多くて、そのイスのキャラクターが出てくる「みいつけた」のオープニングテーマのインスト曲なんか唸りながら聞いています。

ある日、3〜4歳向けの「おかあさんといっしょ」のラストで必ず歌われる「べるがなる」という曲を聴いて(こどもは横で寝ていました)、こころの久しく動いていなかった部分を撫でられるようなむず痒い感動を覚え、何かこれは音楽以上の個人的な要因がありそうな気がする、と数日考えていたところ、ずいぶん前に読んだある詩の記憶と結んでおれは感動しているんだ、と思い当たりました。
高校の同級生が大学生の頃に書いていたブログの中にあったはずのその詩を何とか(何年も開いていなかったブックマークから)探し当て、読み返しました。当時と同じように確かな意味のようなものは掴めなかったのですが、その記事が書かれた日付が2010年の2月であったことに気づき、自分の感情の不思議の方にはなんとなく説明がつくように感じました。

その詩を書いた本人は、おれがこれまで出会った中でも特別賢い人間の一人で、高校生当時からおれの無知無学をよく切り出し露わにして遊んでくれました。20歳を過ぎてから初めておれが真剣に考え始めることになる「個人の認識によって世界は存在し始め、主観の中で完結する可能性がある」ということを教室の休み時間に先導者の余裕を持って説かれたのを覚えています。当然おれのプライドが許さずに反発することが多かったのですが、今度「べるがなる」を通じて思い出すことになった彼の詩に結ぶ自分の感覚の記憶もまさに、反抗的で荒々しい気分のものが多く混ざっていました。

検索すれば出てきてしまうのでその詩を引用することは避けますが、灯台で鐘を鳴らすことをモチーフに人と人とが照応する欲求、その不確実さと美しさ、悲痛について描いた彼の詩と、幼児向けの番組のラストで賑やかに歌われる曲の歌詞 https://hoick.jp/mdb/detail/20869 が、きっと同じところを通過して生まれてきたものなのだろうという気付きの穏やかな感動と、それに紐付いて思い出された11年前のおれや友達らが日々取り組んでいた葛藤、その熱心さ、苛立ちのことを久しく忘れていた、ただ懐かしく思い出すだけでなく、敬意を欠いていたことに焦るような気分にもなりました。



この一週間ほどはテレビで毎日3.11の映像や、避難生活者のドキュメンタリーなどが流れていました。10年ひと昔という通り、確かにここを過ぎたら今まで以上に遠くの過去のことだと感じるようになってしまう、それを避けるためにはこの節目にできるだけ多くのことを思い出しておくことが必要なのかもしれないと感じています。たぶん、津波で亡くなった方の中には話せばぶん殴りたくなるぐらい気の合わないやつだっていたはずだと思う。それでもやはり、生きているということは続きがあるということで、その人の子や孫とおれの子や孫が大親友になる未来もあったのだろうというようなことを考えます。

10年前の3月11日の朝、関西へのツアーから帰り、部屋で昼まで寝ていました。眠りにつく時の部屋の光の加減とか、写真を見るように不思議なほどよく覚えている。10年と数日前と、15年前のことはあの地震がまだ起きていないという意味では同じであるはずなのだけれど、例えばあのツアーのことも、地震と無関係のものとしては思い出せなくなってしまった。地震の少し前、という時期のことを今となってはその直後に地震が起きる前提でしか思い出すことができず、何かに守られた特別な時間であったかのように感じる。

いつの間にか、「あの地震以前の生活ではまるで平和そのもので牧歌的な暮らしを送っていたのに、それが突然壊されたのだ」というコンテクストを作り上げてしまうようになっていたけれど、それ以前にも当然悲しむことはあり、不安や不幸もあり、意味があるのかないのか全く分からない哲学的な問いかけを前に全霊で右往左往する日々があった。ただあの事件が大き過ぎて、それまでの自分の営んできたあらゆることが相対的にちゃちなものに見えてしまった、上から覆い被さるように死者や避難生活者の数が、個人的な憂鬱をほどく結び目の端を、奥へ奥へと追いやってしまったのではなかったか。そしていつの間にか、解決できなかった憂鬱と正面から再び戦うことはないままに、時間が解決してしまった形。



こどもが産まれてくることがわかった頃、ちょうど去年の今頃にかけておれは急いでアルバムを完成させ、さらにできる限りの制作ストックをしておこうとしていた矢先にコロナ禍がやってきた。出産前ギリギリの日程で組んでいたイベントも中止、妊婦と暮らしながら誰かとスタジオに入るのももちろん無理だった。しかし、確かにコロナのことはあったけどそれだけじゃない、問題は自分の方にきちんとあったという受け止め方がそのまま、2011年から始まった流れの中での自分の取り組み方に対する正確な評価の仕方のヒントにもなるように思う。あの地震の被害が大きかったことと反比例するように、思い返せば2011年や2012年の自分の気分には大きな憂鬱と背中合わせで、楽しくてしょうがないという部分があったのも事実。世界が混沌としている中でそのぶん、自分は果てしなく退廃的で、ハイで、自由だと感じていた記憶がある。放射性物質に関する噂が飛び交うなか、今は非常事態なのだからおれは表現への努力や個人的な闘争と向き合う必要はない、世界が止まっている間はおれもあらゆる労役から逃れて咎められないのだ、というあの感じ方が、しかし確実に間違ったことだということも当時の自分にわかっていたはず。それでもそこから何年も、もしかしたら今もまだ目を背け続けていることがある。

たとえば今こどもと過ごすお陰で毎日が、自分がこれまで出したことのないような笑い声で溢れているのも、これは11年前の自分が戦っていたものをついに乗り越えて勝ち得たものではなく、子育てのためのもっと実際的でスピードの速い苦労や、単純に子供がかわいい(信じられないくらいかわいい)ために受け取っている幸福感などに、まるであの津波と同じような大きな外的な力によってもたらされただけのものじゃないかと、そういう見方をしてしまえば途端に不安に駆られてくる。乗り越えられなかった壁を見ないようにする理由が外からやってきてくれた幸運に甘んじている。



いまの自分について正直に言ってしまえば、音楽を作ることに対してonになっているという状態ではない。コロナ禍にあってできることが制限され、その上でこどもと過ごす生活の中に、音楽を作るための時間や集中力を無理やりねじ込むのに足るだけの、要はおれにとってこれが家族のためにもなる仕事なのだと言い張れるだけの理由を、おれはこれまでに用意してくることができなかったと感じている。11年前には確かに通電しっぱなしの常夜灯のように、眠る間にもどんなふうに新しい音楽を作るかを考え続けていた気がするけれど、それこそこれは10年前の地震のあとにもしばらく奪われた意欲に依るもので、あの地震のあとにも確かおれは、音楽を作ること、自分がいかによく生きるのかを考えるということが無価値だと感じ、しかもそれは自分がこれまでに音楽に対して積み上げてきたものや得てきた評価が足りないために突き当たっている壁だと感じていた。

2011年や2012年の頃と似た状態にいま自分が陥っているのだとして、ならばある程度時間が解決してくれるはず、しかしそれではいずれまた時間に解決させてしまった、自分の力ではよく壁を乗り越え得なかったと悔やむ日もまたくるのじゃないか。誰か一人にでも聴こえるのか知れないまま、毎日欠かさず鐘を鳴らしにいっていた自分の灯台に通うこと、あれは本当に必要だったのか、ばかばかしい子供の遊びだったのではないかという疑いを晴らせていた可能性もあったのじゃないか。鐘に例えるならもっと丁寧に強く鳴らす努力をもとより続けていれば、地震にもウイルスにも揺さぶられず、自分の表現を突き詰めながらこどもと暮らすことに迷いも生まれなかったのじゃないか。本当にうんざりする。これは葛藤とか呼べる代物ですらなく、ただウダウダしている自分に真剣に腹を立てるのももう面倒になってしまっているような、本当にただそれだけのことなのだとも思う。

また時間に解決させてしまってよいものか、死ぬほど鈍臭いその逡巡について、この記事の中では結論というようなところには辿り着きませんが、少しずつ動き出すほかないのだろうと思います。実は今年に入って二拠点生活を始めたところで、バタバタと移動を繰り返していました。ようやく落ち着いて、かつ新居の方にネットが開通する3月後半のどこかで、1日使って配信ライブをやるのもいいなと思っています。これまでは携帯からインスタライブをしてきましたが、有線ならきちんとした音環境でやれると聞いているので、YouTube liveでやってみようと思います。筋トレも兼ねてやれる限りたくさんやろうと思っているので、もしリクエストがある方がいれば先に送っておいてください。ネットが開通するまでの間に、やはり歌を歌っているどころではない、鐘を鳴らすのは子供の遊びだと思い直すとか、大きな地震が起きて命を落とすとかが、絶対に無いとも言い切れませんが、つまりはそんな不安を認めながら、いつ突然終わりが来ることになるとしても、自分から止まることはつまらない後悔を産んでしまうということだけはもうわかっているのでした。

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