うちはマンションの4階である。ある程度周りの建物を見渡せるが、ちょうど向かいに2階建てのマンションが見える。いつも洗濯物を干している家なのだが、年末から洗濯物が干されていなくて寂しい。単に年末年始の帰省で洗濯物を取り込んだだけかもしれないが、もしかすると引っ越したのかもしれない。いつもあったものがそこになくなると突如として空虚を感じる。
大した事ではないといえば大したことではないのだが、人生はこういう小さな事象に対して深みを感じられるかが大事になるように思える。こちらの本が私の感覚とぴったり一致していて、本にあるように現代は質の低いものがはびこってしまい、その結果、精神的に満足できずに生きる意味を見出しづらいケースも増えているんじゃないかと思う。
人間は目的がないと鬱になってしまう生物らしい。動物はそんなことはなく、本能の赴くままに、生存本能を満たせば満足されるはずである。人間は、協力関係を築くために、生きるために精神を発達させたと言われているが、その負の側面として目的やモチベーションが必要になったというわけである。
私の生きる目的は何か?目的はまだ見つかっているとは思えない。そもそも見つけること自体が人生だとも思う。ただそれが目的であるとどれだけ信じられるかによって満足度が変わると思う。そのためにはいろんな経験を積み上げるしかないと思う。どんなに書籍で大事だと言われても、先生や親から大事だと言われても、それは彼らが大事だと思えるだけの背景を持っているからこそ大事だと思えるわけであって、その背景を持っていない人には腑に落ちないのだと思っている。
この経験は質も大事で、例えばテレビのCMの宣伝で何度も見たから欲しくなったというのは本質的に何も満足させてくれないことが多いと思う。どちらかというとCMを見なくても欲しいものが本質的に欲しがっているもので、本当はそれ以外の物は買わないのがスマートな生き方だと思っている。だって、本当に欲しい物でないものを買って、まるで満足したかのように思っていても、本能的には満足しないから、お金は減るだけで満足しないという負の経験が積み重なるだけで良いことはない。本当に欲しているものは、そこに何かしらの物語が語れるはずで、語れるくらいそのクオリティを理解していると思っている。だから語れないなら買わない方が良いと思っている。しかし、私もテレビを見なくなったが、SNSで広告を目にするため、まだまだ思考が汚染されているとも思うので、汚染されすぎないように広告カットはしていきたいと思う。
一方で最先端のニュース情報は取り入れていくことは大事だと考えている。いつのまにか自分の使っていたテクノロジーが実は遅くなって、もっと早いものができているかもしれない。
例えばお金。現金はもう古い。電子マネーで決済すれば、現金の授受がないので感染リスクを低減できるだろうし、レジで並ぶ時間も省略できる。クレジットカードやQRコードも同様である。そしてそのおかげで、銀行口座から自動的に引き落としにすれば現金を引き出す必要すらない。私の生活の95%以上は電子的な流通だけで終えているのでもう個人的には現金は要らない。5%は現金を使うが、それは近くの昔ながらの八百屋が安くて、そこで買うときに現金を使っているのである。将来的には、体内にチップが埋め込まれて、何も持たずに決済出来ればもっと楽なのにとも思う。まぁそんな感じで、新幹線がある時代に、わざわざ徒歩で長距離を歩く意味はないのと似たような現象がこれからいろいろな場所で起こっていくのだと思う。この場合、わざわざ徒歩を選ぶのは、体力を維持するくらいの目的しかない。現金を使うのも、脳トレくらいにはなると思う。ただ、実務的な機能と、体力・脳の維持の両方を同時に実践する必然性はなくて、そこは別々に考えた上で、結果として、従来手段を使った方が効果的と思うなら使っても良いと思っている。
まぁそんなわけで今年も、質の高い情報を仕入れ、質の低い情報をカットし、人生を満足出来たら万々歳である。
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