読みコント『改行ハラスメント』
なぜ、私はずっと我慢しているのだろう。なぜ、言いたい事が言えないのだろう。
私は大学を卒業して以来、ずっとこのweb制作会社「MIZOU」で働いている。独身、25歳、女、彼氏なし、彼氏作る気なし。
仕事は好きだ。一生続けてもいいと思えるぐらいやりがいがある。この会社自体も、悪くない。むしろ良い。
同級生の仕事の愚痴を聞く限り、この「MIZOU」は小さなベンチャー企業にも関わらず、福利厚生もしっかりしているし、固すぎず、ゆるすぎない社風で、何より給料が良い。とても私に合っていると思う。
ただ一点を除いては。
「こんにちはです」
来た。
「こんにちはです」
来ました。
男にしては少々甲高い声が精神を逆撫でしてくる。
「こんにちはです〜」
必ず3度言う。3度目は語尾を尻上がりに伸ばす。癪という癪に触る。
この男、私の上司、早乙女隼人主任である。そのしゅっとした名前とは裏腹に当人の見た目はメタボリックシンドロームの化身のような体型で、冬でもハンカチで額の汗を常にぬぐっている。その大きな体に不釣り合いな細い顔がくっついている。まるでツチノコのようである。もちろんツチノコを見たことないけど、まあそんな形だろう。
私はこの早乙女主任からハラスメントを受けているのだ。本人には自覚はないと思われる。
このハラスメントは私と会うとすぐに始まる。
ほら、もうすぐ始まる。
「おやおや〜、高城さ〜ん」
始まった。無論、高城は私の苗字である。
「なんでしょうか?」
「あのさ〜
昨日さ〜
お願いしたやつあるじゃ
な〜い?」
「はい、デザイナーさんとの打ち合わせの日ですよね?」
「そうそうそ〜
う、それの日程ってさ〜
「12月16日の15:00から会議室とってるので、そちらで打ち合わせお願いします」
日程決めてくれた〜?」
自分の言葉をカッコで閉じるまで、私の話は耳に入っていない。私はさきほど言った言葉を繰り返す。
「12月16日の15:00から会議室とってるので、そちらで打ち合わせお願いします」
「なるほ
ど〜」
なるほどを「なるほ」と「ど」で行を稼いでくる。鬼畜の所業である。
そう、これが私が日々、受けている改行ハラスメントなのである。
改行ハラスメントを罰する法律はない。泣き寝入りである。
しかし、今日こそ、この改行ハラスメントモンスターに言い返そうと思う。今日こそ今日こそと毎日思っている。
私は思い切って目の前のパソコンのキーボードを強く叩いてモンスターに威嚇する。
あ;えおいgゆ:う
パソコンの画面には、思わず蒼井優と呼んでみそうになる意味不明な文字列が踊った。
「あの主任」
まずい、自分からカッコを閉じてしまった。
「なんでしょうか〜〜
〜」
なんでしょうかの余韻だけで15行ぐらいもっていかれた。負けるな私。
「主任に言いたいことがあるんです」
しまった!またカッコで閉じてしまった。二言目をカッコで閉じてしまったということは、あれが来る。来る。
「言
い
た
い
こ
と
言
い
ま
し
ょ
う」
全文字改行の荒技だ。律儀にも小さい「よ」も改行している。これで私の戦意は根こそぎ削がれた。
私が口を開こうとした瞬間、トドメをさされた。
「
・・・」
無言の大改行。これこそ、この男の必殺技である。
この無言の大改行のため、私の言いたいことを言うための行はもう残されていない。
よって今日も今日も、言いたいことが言えなかった。
おもしろいこと、楽しいこと、皆さんの心を動かすことだけに集中させてください。どうか皆様からのご支援をよろしくお願いいたします。