いつか自分の首を絞めるかもしれないお気持ちnote

公演を中止にするっていうことがどんなことなのか、
わたしは前回の「夜明けとワンピース」でそれを痛いほど思い知った。

幕を挙げる事は当然のように舞台人としての使命だと思っていたから、それはまさに身が切られるような思いで、人生でこんなに泣いたのはいつぶりだろうかってくらい涙を流して、座組のみんなに劇団員で頭を下げた。


「劇団」というのが、どんなものか。
「主宰」というのが、どんなものか。


わたしは自分には主宰の才能があると思っている。
自分の言葉には普通の人よりパワーがある気がしているし、多分カリスマ性みたいなのもある気がするし、アイコンとしても映える存在な気がしているからだ。


だからわたしは、色んなものを捨てる事ができた。



当時唯一演劇ができる場所だった演劇部を
思う事がたくさんあったあの劇団を
昔は尊敬していた舞台人たちを

「クソ喰らえだ」

という感情ひとつで捨ててきた。

わたしは、人を集める才能があるのだと思う。その漠然とした自信があったから、わたしはわたしの正義を貫いて、わたしが「おかしい」と思う環境を切り捨てるのを繰り返して、そうして今はroute.©️という環境を自分で作り出している。


きっとそんなわたしが語る正義は、ポジショントークでしか無いんだろうな。


実際わたしも、自分に主宰の才能があると思っていない時期は、色んなことを黙って見過ごしていた。未成年に手を出す大人の劇団員とか。
知っていてわたしは何も言わなかったのだ。

おかしいと思っていても。
気持ち悪いと思っていても。
その子が影で泣いていても。


何も言わない事も、きっと罪だ。

私は罪を負っている。
演劇をやりたくてやりたくて、
そのエゴで黙って見過ごしたものが、
本当に本当にたくさんある。


誠実であるというのは、考えるのは簡単だけど100点を出すのは本当に難しいことだ。


私は性格が悪いので、不誠実な劇団に文句を言うし、不誠実に加担した劇団員や客演スタッフ劇場も「罪」だと思っている。性格が悪いので。それはズルだよね、と。


私だって
演劇やりたいって気持ちとか、
自分と仲良い人を贔屓したいとか、
迷惑かけたくない嫌われたくないとかで、
たくさん罪を犯してきたし。

ズルだなって、自分で思うし。


誠実って、減点方式だと思うんだな。


ズルするだけすり減ってくよ。
自分が。
他人からの評価が。
信頼が。


そうやって演劇にしがみついても、
いつか嫌いになっちゃうよ。

何人も見てきた、そういう人。


でもわたしの言葉なんて、きっと主宰とかできる人間の言葉でしかなくて。
捨てる事ができるのは、替えがある人の特権だしね。
「夜明けとワンピース」の公演中止だって、痛くて堪らなかったけど、一緒に痛みを分け合う人たちがいたから決定できた。

ポジショントークだよなぁ。

でも、ねぇみんな、なんとか65点くらいで踏みとどまってね。
自分のこと嫌いにならないために。



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「ちょっとだけ世界、変えてみるの。」

これ、良い台詞だなぁ。
しみじみ。

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