存在の耐えられない軽さ
「存在の耐えられない軽さ」
わたしはこの本のタイトルだけを知っていて、その中身がどういうものかは知りませんでした。それでもときどき、わたしの頭の中に、「存在の耐えられない軽さ」という言葉が浮かんでくることがありました。
この言葉を思い出すときは、自分の存在や人生があまりにあっけなく感じられて、どうしたらいいか分からなくなるようなときでした。
あらゆる感情や思考、体験を積み重ねていく「生」というものと対比して、「死」というものがあまりにもあっけなさ過ぎて、儚くて、予測不可能なものなので、どうやって生に向き合ったらいいのか分からなくなってしまう状態にみんなが陥らないことが不思議でした。
それが、わたしにとっての「存在の耐えられない軽さ」です。
人生はいつ途切れてしまうか分からないもので、つねに綱渡りをしているようなセンシティブさがあります。根本的に、とてつもなく不安定なものだと思っています。
その上、たった一度きりのものであって、あと戻りができないものでもある。だからこそ、一瞬一瞬の意思決定にはつねに困難がつきものです。わたしは、この小説を読んで、そんなあたりまえのことをしみじみと感じたのでした。
「いつでもやりなおしできる」と思う一方で、大抵のことはあと戻りはできません。一度発言してしまったことを「撤回」することはできないし、失敗を「なかったこと」にはできない。そういう体をとることはできても、実際には何かが起きたらそのことを踏まえた未来しかありません。
そんなわけで、何かをしてしまったり、しなかったりして落ち込むことがあります。後悔し、苦しみます。
一時の感情に左右されたり、自分が想定していないことが起きたりしたときに、自分の言動を悔います。いくつかの選択肢を想定して、比較して、一生懸命に決断したことであっても、あとから自分の過ちに気づいて落ち込むことはあります。
でも、そういうもんなんだな、とも思ったのでした。
みんな、常にはじめての状況で意思決定をすることが求められます(まったく同じ状況は存在しないので)。
人それぞれ抱えている事情も、価値観も、大事にしていることも、考え方も違うのだから、何が正解か分からないわけで、これは困難きわまりないこと。
どんなに天才でも、どんなにお金持ちでも、どんなに美人でも、一度きりの人生を歩んでいて、そのときどきで最適な意思決定をできるとは限りません。感情に動かされて反応し、意思に反する行動をとってしまうこともあると思います。
だから、自分も自分の身近な人も、雲の上の存在のような人もみんな、「こんなはずじゃなかった」という過ちをおかすものなんだということを忘れないようにしたい。これは考えてみればあたりまえのことだけど、でも普段あまり考えることがないことでした。
そうした自覚をもって、「存在の耐えられない軽さ」に耐えながら、分からなさの中でもがいていくしかないんだろうなあと、思いました。
いまの自分には本の読解はできていないように思うのですが、またいつか読んだときはもう少し読めるようになるかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?