見出し画像

存在の耐えられない軽さ

「存在の耐えられない軽さ」

わたしはこの本のタイトルだけを知っていて、その中身がどういうものかは知りませんでした。それでもときどき、わたしの頭の中に、「存在の耐えられない軽さ」という言葉が浮かんでくることがありました。

この言葉を思い出すときは、自分の存在や人生があまりにあっけなく感じられて、どうしたらいいか分からなくなるようなときでした。

あらゆる感情や思考、体験を積み重ねていく「生」というものと対比して、「死」というものがあまりにもあっけなさ過ぎて、儚くて、予測不可能なものなので、どうやって生に向き合ったらいいのか分からなくなってしまう状態にみんなが陥らないことが不思議でした。

それが、わたしにとっての「存在の耐えられない軽さ」です。

人生はいつ途切れてしまうか分からないもので、つねに綱渡りをしているようなセンシティブさがあります。根本的に、とてつもなく不安定なものだと思っています。

その上、たった一度きりのものであって、あと戻りができないものでもある。だからこそ、一瞬一瞬の意思決定にはつねに困難がつきものです。わたしは、この小説を読んで、そんなあたりまえのことをしみじみと感じたのでした。

彼は中庭ごしに汚い壁を見ながら、これがヒステリーなのか恋なのか分からないということを意識していた。 

本当に男らしい男ならすぐに対処できるようなこの状況で、彼が逡巡し、かつて経験したことのない(彼女のベッドにひざまずき、彼女の死に耐えられないと思った)もっとも美しい瞬間に、彼女の持つ意味を認めていないことを申しわけないと思った。 

自分に腹を立てているうちに、何をしたらいいのか分からなくなるのは、まったく自然なことだと思いあたった。

人間というものは、ただ一度の人生を送るもので、それ以前のいくつもの人生と比べることもできなければ、それ以後の人生を訂正するわけにもいかないから、何を望んだらいいのかけっして知りえないのである。 

テレザと共にいるのと、ひとりぼっちでいるのと、どちらがよりよいのであろうか? 比べるべきものがないのであるから、どちらの判断がよいのかを証明するいかなる可能性も存在しない。 

人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるのである。
それはまるで俳優がなんらの稽古なしに出演するようなものである。しかし、もし人生への最初の稽古がすでに人生そのものであるなら、人生は何の価値があるのであろうか?

そんなわけで人生は常にスケッチに似ている。しかしスケッチもまた正確なことばではない。なぜならばスケッチはいつも絵の準備のための線描きであるのに、われわれの人生であるスケッチは絵のない線描き、すなわち、無のためのスケッチであるからである。 

Einmal ist keinmal(一度は数のうちに入らない)と、トマーシュはドイツの諺をつぶやく。一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それはまったく生きなかったようなものなのである。

「いつでもやりなおしできる」と思う一方で、大抵のことはあと戻りはできません。一度発言してしまったことを「撤回」することはできないし、失敗を「なかったこと」にはできない。そういう体をとることはできても、実際には何かが起きたらそのことを踏まえた未来しかありません。

そんなわけで、何かをしてしまったり、しなかったりして落ち込むことがあります。後悔し、苦しみます。

一時の感情に左右されたり、自分が想定していないことが起きたりしたときに、自分の言動を悔います。いくつかの選択肢を想定して、比較して、一生懸命に決断したことであっても、あとから自分の過ちに気づいて落ち込むことはあります。

でも、そういうもんなんだな、とも思ったのでした。

みんな、常にはじめての状況で意思決定をすることが求められます(まったく同じ状況は存在しないので)。

人それぞれ抱えている事情も、価値観も、大事にしていることも、考え方も違うのだから、何が正解か分からないわけで、これは困難きわまりないこと。

どんなに天才でも、どんなにお金持ちでも、どんなに美人でも、一度きりの人生を歩んでいて、そのときどきで最適な意思決定をできるとは限りません。感情に動かされて反応し、意思に反する行動をとってしまうこともあると思います。

だから、自分も自分の身近な人も、雲の上の存在のような人もみんな、「こんなはずじゃなかった」という過ちをおかすものなんだということを忘れないようにしたい。これは考えてみればあたりまえのことだけど、でも普段あまり考えることがないことでした。

そうした自覚をもって、「存在の耐えられない軽さ」に耐えながら、分からなさの中でもがいていくしかないんだろうなあと、思いました。

いまの自分には本の読解はできていないように思うのですが、またいつか読んだときはもう少し読めるようになるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?