見出し画像

リード文100本ノック#16―VICE

リード文をすらすら書けたらいいなあという思いではじめた、リード文をタイピング写経してみる週1企画。(最近は記事を読んで一言感想書くほうが主眼に…)第16回は、VICE。

VICEは尖った世界観がテーマにも写真にもあらわれています。今回は4本で、65本。

夢と現実の双方向コミュニケーションが実現

月、深海、地球の極地など、これまで人類は遠く離れた場所へと到達してきたが、今回、全く異なるタイプのフロンティアに科学者たちが触れた。そのフロンティアとは、夢の中の摩訶不思議な世界だ。

国際科学者チームは、明晰夢の真っ只中にある人とリアルタイムで会話を交わすことに成功した。2021年2月18日に学術雑誌の『Current Biology』に掲載された論文によると、これは<インタラクティブ・ドリーミング(双方向の夢見)>と呼ばれる現象だそうだ。

本研究の参加者は、レム睡眠の最中に、簡単な算数の問題などの質問に正確に答えることができた。研究により「比較的知られていないコミュニケーションチャネル」が明らかになり、それは「夢の実証的な研究に使用できる新たなアプローチ」となるだろう、と報告されている。

ただのニュースだけれども、内容がおもしろいので抜粋。夢についての研究はたくさんなされているんだろうけど、その研究の応用分野や、目指していることが気になる…

プラスチックは本当に悪なのか?プラスチック・ラブ

<サスティナブル>。日本では<持続可能な>と訳されるこの言葉。ここ数年で出現した言葉だけに、その真意は掴みづらく、本当の意味で理解しようとしても、なかなか腑に落ちない人もいるだろう。数十年前に、脚光を浴び定着した<アイデンティティ>も、当時は掴みづらい言葉であったと記憶している。どちらも既存の社会がいき詰まり、そのなかで生まれてきた新しい概念としての言葉であることは間違いない。

<サスティナブル>という言葉が本格的に脚光を浴び始めたのは1990年代に入って以降。日本では第二次世界大戦後、深刻な食糧難に陥ったこともあり、<ものを大切にする>ことが尊重されてきたように感じる。学校給食は何があっても完食しなければなかったように、特に食糧を無駄にすることは許されない社会であった。同時に豊かな生活=物質主義といった価値観が蔓延していたことも事実だろう。それが、90年代を経過して以降、徐々に変容してきている。今や学校給食は無理して完食せずともよくなったように、ようやく飢餓への恐怖から解放されたのかもしれない。逆に言えば、物質的には豊かな社会になった、といえるのだろう。

(中略)

そんなプラスチックではあるが、今や地球環境を汚染する最大の悪として槍玉にもあげられている。そもそもプラスチックとは何なのか、プラスチックとこれまでの社会、今後の社会について、バイオマスで、なおかつ生分解もするプラスチックの研究をされている東京大学の岩田教授にお話を伺ってきた。

サスティナブルの切り口からあえてプラスチックの成り立ち、社会的役割を提起するという企画趣旨がおもしろい。最初にプラスチックが開発されたときには、これまで象牙から作られていたビリヤードの玉をつくったそうです。動物愛護の観点からプラスチックが使用されていたとのこと。全然知りませんでした。

<Black Trans Lives Matter>黒人トランスジェンダーへの虐待や差別に終止符を

6月13、14日の週末、黒人トランスジェンダーの殺害に対する抗議デモが全米各地で開催され、数万人が集まった。彼らは、黒人トランスジェンダーのひとびとが経験する虐待や命の危険にピリオドを打つことを求め、声をあげた。

アリエル・マリアンには、ただでさえ、姉のリア・ミルトンが死んだという事実を受け入れる間もなかった。それなのに、警察や地元メディアはミルトンを<男性>とみなし、彼女の傷口に塩を塗った。

ミルトンは、オハイオ州シンシナティ郊外に暮らす黒人トランス女性。バトラー郡保安官事務所によると、彼女は2020年6月9日、彼女から金品の強奪を試みた十代グループにより殺害された。享年25歳。当局の発表によると、彼女の身体には複数の銃槍が認められたという。なお、当局は男性を指す代名詞でミルトンを繰り返し呼称し、地元メディアでも彼女が捨てた出生時の名前が使われた。

マリアンはミルトンを、「美しい心」をもった「美しいひと」だったという。そんなひとが、死後に不正確な性別で、そして過去の名前で呼称されていることに、マリアンは憤りを覚えた。

「姉への正義を求めますし、名前には力があるとみんなに気づいてほしい」とマリアンは語る。「誰しもが、<棒や石は私の骨を折るかもしれないが、言葉は私を傷つけられない>という言葉を聞いたことがあるでしょう。でもこの言葉は正しいとはいえません。本人の選んだ名前ではなく、あえて出生時の名前で誰かを呼ぶということは、そのひとのトランスジェンダーとしての存在、人間としての存在を軽視していることに他なりません」

目を背けたくなる現実だけど、そもそも肌の色や性別などで人を差別したり殺害に至ったりすることが日常と化している国や地域の特性に大きな問題があると思う。これまでの歴史もあってのことなのかもしれないけど、子どもたちの生きる環境がもっとフラットになることを願います。

あと、名前について改めて考えると、自分の名前に納得していない人からしてみれば(トランスの人に限らず)、自分で決めたわけでもない名前を一生背負っていくのは好ましくないように思う。もちろんいろんな問題があるので、誰でも名前を自由に変えられるようにはならないと思うけど、もう少し柔軟に変えられてもいいかも?

ドラァグクイーン兼格闘家、ディエゴ・ガリーホ

一般的に、総合格闘技や素手ボクシングの世界と、ドラァグの世界は交わらないと思われているが、全身に刑務所スタイルのタトゥーを刻んだ41歳の格闘家/画家/オールラウンドエンターテイナーのディエゴ・ガリーホは、それらの芸術表現を一身に融合している。

メキシコのグアナフアトで生まれたガリーホは、子どもの頃、米国に不法入国した。若い頃に何度か刑務所に収監されたのち、2006年にプロの総合格闘家としての道を歩み始める。キャリアを通して7度の勝利を飾ったが、網膜剥離により選手生命の危機に陥る。しかし、視界を一部失っても、彼の内なる闘志は消えることがなかった。2018年、彼はより血なまぐさいスポーツである素手ボクシングへと転向。これまでの成績は1勝1敗だ。

リングではどう猛な〈ドス・ピストラス(=拳銃2挺)〉という名で知られるガリーホだが、サンディエゴのドラァグシーンでは〈ローラ・ピストラ〉の名で活躍する。1年以上前に始めたローラとしての活動は、自身のクリエイティビティが自然に伸長して生まれたものだという。彼の目には、ドラァグと総合格闘技は相反するものではなく、むしろ、両立するものとして映っている。

彼についてより深く知るために、VICEはガリーホにインタビューを敢行。ハイヒールについて、ノックアウトについて、そして有害な男性性について話を聞いた。

「格闘技とドラァグの共通点は何だと思う?」という問いかけに対する答えが、ひとつ前の記事ともつながる。

格闘技で見られるのは、目の前の強敵を超えようとする人間の強さ。ドラァグで超えようとしているのは、有害な男らしさだ。特に有色人種のトランスジェンダーはもっとも抑圧されているし、自殺率もいちばん高い。彼らを社会から除外せず、サポートしないと。

一見、相反するように見えることであっても、その人の内側からみればつながっていると教えてくれる象徴のような人だ。

でも何より、考えさせられたのは最後のガリーホの台詞。

イヤな気分の日は、トレーニングに行ってスパーリングをする。誰かを殴りたいからじゃなくて、自分が殴られたいんだ。そうすると気分が晴れる。戦っているときは、あらゆる問題が無意味になる。それが、格闘技の効果だよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?