調べているうちに違うことが分かった/盛岡市内一周継走の参加チーム
4月20日に、岩手県で最も参加者チームの多い「盛岡市内一周継走」の上位チームの変化を見て、このようにこのブログに記事を書きました。
以前の記事では
私の捉え方は、こうでした。
もう少し調べてみた
仮説を持っていたので、もう少し資料にあたることにしました。
一般男子・一般女子の出場チームのうち、いったい、職場や学校のチームはどれくらいあるのだろうか…ということを知りたかったのです。
Webでは探せませんでしたので、県立図書館で調べるほかありません。
全部を調べる余裕はありませんので、トピックとなると思われる3年、
つまり、
一般男子の出場チーム数が最多だった1995年、
東日本大震災津波が発生した前年の2010年、
感染症拡大予防で大会が中止にあった前年の2019年、
そして最新の今年の、
計4年分を抽出して比較することにしました。
こうでした
契機は「2011年」でも「2020年」でもない
いかがでしょう、
表の後半・2010年から2022年までは、大きな変化は認められません。
それよりも
1995年から2010年の間に、チームの減少を特徴とする大きな変化があります。
大震災津波の被害や、感染症拡大防止のためのを制限などを原因としない要因で大きな変化があったのです。
何かがあると、
きちんと考えずに、震災津波や感染症拡大防止を原因にしてしまっている自分の考え方の傾向に気づき、
その直前に戻せばこと足りるという気持ちで、さらに前を検証しようとしない私の行動様式に愕然としています。
過去がすべて良かったと言っているのではありませんが、
大きなトピックをすべての原因としていることが、いけないことなのです。
もうもう少し調べてみた
なんだろう…と、もうもう少し調べてみました。
すべての年の参加チーム数は、Webで調べられます。
一般女子の部ができた1983年以降の6種別(一般男子・高校男子・中学男子、一般女子・高校女子・中学女子)の参加チーム数を調べ、
(まてよ、中高一般の流れも知りたいな…)と
6年前の中学→3年前の高校→一般 の流れに着目し、
6年前の中学のチーム数と一般のチーム数の比を出して、
乱暴にも、中学から一般の「歩留まり」を見ようとしました。
ついでに
中学から高校の歩留まりもグラフにしています。
こうなりました。
1998年!
1998年は、一体、何があったのでしょう。
一般男子の参加チーム数と、
6年前の中学チームと一般チームの比、
乱暴に言えば、
6年前の中学生駅伝ランナーが大人になっても続けている率の
どちらもが
がくんと落ちているのです。
そして、
それ以降、明らかな下降傾向。
考えられるのは三つ
■1997年に突発的な変化が起きた影響
■1984年から1997年までの期間に継続的な変化があり、その年に持ちこたえられなくなった
■1998年、あるいはその年以降に起きた変化が、回復を妨げている
結局は
私の力では、分かりませんでした。
ここまで読んできたのになんだよ…とお怒りにならないで、あなたのご意見をお聞かせくださいませ。
あるいは、ここでこんなことを書いている人がいるよ…とかお教えくださいませ。
考えてみるって、大切なことですよね。
スポーツには「する・みる・ささえる」だけではなく
「考える」もあるのです。
これから私はこうします
❶わからないものは、わからないので教えてくださいと言う
❷大きな出来事が、すべてのことの原因だと反射的に考えない
❸もう少し調べる、もうもう少し調べる
あ、以前の記事に、エクスキューズを挿入しておきました。
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