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小2から中学受験の学習をスタート(プロフィール2)

公文をやめ学習塾での学習がスタート。幼稚園の年長の時に田舎の方に引っ越した関係で、バスに乗っての通塾であった。最初は母が付き添って塾に通っていたが、母のバス代がもったいないと私から言い、バス代の片道分を自分の小遣いとしてもらい、塾の帰りに買い食いをしていた。

小2にして明確な中学受験のイメージを持つべくもなく。しかしながら、第一志望校はラ・サールと決まっていた。既に全国屈指の進学校として名を馳せていたラ・サール。「男子校」「寮生活」「体育会系」みたいなものに既に憧れを抱いていた。「男ならラ・サール」、母の洗脳だろうか。。。

『山田義塾』という塾に通っていた。当時の授業が面白かったとかレベルが高かったとか、そういう記憶は無い。同じクラスに絶対勝てない「山田くん?」がいて教室内で常に2番。だけど、その塾の全県での順位も2番。山田くん?とのワンツーをずっと続けていたような、そんな記憶だけある。

ラ・サール中に進学して山田義塾のリュックを背負っていたら「お前があの井上か!」と言われた。県内で上位だったので名前は認知されていたんだ、と中学に入って自覚した。

家では漢字練習の宿題しかしていなかった。宿題だからやっていた、という感じ。算数に関しては授業で一度聞いた内容は100%理解できていて、計算ミスはあれど、同じ問題が解けないなんてことは無かった。小3までは国語と算数しか授業もテストも無かったので、成績がそこそこ良かったのだと思う。小4で社会が始まって成績は転落する。

塾人として。親も親で塾に通わせといて、学習内容に無関心なのすごいなと。家で漢字しかしない息子をどう思ってたんだろう。一方で、これくらい放任でも良いのかも知れない。親や周りの大人がガミガミ言って、子どもに良いことは無いだろう。そこで嫌な気持ちで、言われた通りに勉強して、小3や小4のテストで良い点を取って、、、その先、どうなるのだろう。

(追記)Facebookで再会した山田義塾の同期