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ベタだけど、新型コロナで常識が変わった!(プロローグ3)

個人塾を立ち上げるときに、机の数だけPCを用意した。eラーニングを主体とする塾とするために。零細個人塾で講師の確保は難しい、近隣に大学も無いためアルバイト講師も雇用できない。そんな環境でも、eラーニングを駆使することで、地域の子どもたちの学習はサポートできるという信念から。

加えて学校や塾を見ていて「集団授業」の限界を感じていた。30名に対しての一斉授業で全員が参加し理解というのは理想であり現実では無い。教室の中で授業についていけない子も出るし、逆に内容が簡単過ぎて退屈する子も出てくる。その子たちにとって、集団授業は有意義な時間の過ごし方なのだろうか。

習熟度別にクラス分けがなされている場合は、まだ授業内容を生徒の学力レベルに合わせることができる。しかしながら、時間が経過するごとに学力差は開いていき、ニーズというのは細分化されてしまう。また、習熟度クラスにしても科目ごとにクラスを分けることができれば良いけど、英語が得意で上位クラスにいるけれど、苦手な数学も上位クラスの授業で全然ダメなんて事態も起こりえるわけで。

これだけオンライン環境が整い、端末価格も下がってきている中で、知識習得に関しては個別化が必至。ならばと自塾ではいちはやく「授業」をやめ、オンライン教材での個別学習とした。

同じ教室に小学生と中学生と高校生がいながら個別に全く別の内容を学習できているし、同じ学年の子も苦手な子はさかのぼって学習ができるし、得意な子は先取りの学習ができるなど。メリットは大きい。当初は質問に対応していたけれど、自分の回答がeラーニング教材の説明と全く同じ、ということを何度も経験して、教材の該当箇所を教えるという具合に変更した。算数や数学に関しては、オンライン教材で概念は学習できても、個別の問題の解答へは対応が難しいので、質問対応を行っているという具合。

この数学の質問対応についても生徒から出る質問というのは同じ問題であることが多い。さらなる効率化を目指すべく、生徒の質問対応も録画してYouTubeで公開して、他の生徒が閲覧できるような体制も整えつつある。

そもそも学びというのは個別に行われていたものだと思う。師匠に弟子がついて教えてもらっていた。それが「私も!」と弟子が増えることで授業の形になったのであろう。集団授業というのは教育が「行政」になった時に、一度に多くの子どもに教授するという、教える側の効率やコストを考えて導入された制度であるはず。インターネット技術の進展で学びが本来の姿に戻りつつあるのだ。

という理屈で2年前からeラーニング主体の塾を運営していた。リクルートのスタサプやスマホ塾のアオイゼミなど洗練されたサービスが続々と出てくるも「主流」となることは無かった。「世の理解を得た」とは言い難い状況が続いていた。

しかし、新型コロナが世の中の常識を変えた。今まで対面が主流であったビジネスもオンラインへシフト、オフィスへの通勤からリモートワークへ。そして学習環境においても。一気に全てがオンライン授業にシフトするわけではないけれど。今までは無思考で対面を選択していた人の中から、「オンラインで良くね?」と考える人が出てきた。僻地に住む人にとっては、都心まで出ていかないと享受できないと思っていたサービスが、僻地に居ながらにして受けられるということの「価値」に気づく人が出てきた。

これは大きなパラダイムシフトだ。通信添削ベネッセの拠点は東京ではなく岡山だった、のと同じ理屈で(加えて講師のQOLなども加味して)「拠点」の考え方が変わるということなのだから。