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届くということ

僕が受けているとある講義で、当たり前ながら本質をついているような言葉に僕ははっとさせられたことがある

「モノを他人に送ったとき、それはそのまま相手に届く。しかし、言葉はそうはいかない。言葉、つまり情報は相手が解釈しなければ意味をなさない」

そう、言葉を伝えるのは難しい。まず自分の中にあるものを言葉にすることから難しいのに、そこから相手に届くのもまた難しい。しかしその分、何かの形でどこかの「相手」に届いたとき、そこには何にも代えがたい感動があるのだと思った。

数週間前の日、突然のことだった。僕が「この人はなんてすごい文を書くんだ...」と感嘆としていた人からnoteに通知が届いた。僕は4限の授業終わり、飛び上がりそうな感覚になった。そして、その方のTwitterを見に行ったとき、自分の記事のちょっとした感想を呟いていてくれていることに気づいた。僕は感動で涙かで出そうだった。その時期、僕はとある授業で書いた「自分について」の創作が酷評され、まるで自分の自尊心に致命傷のような傷ができていた。自分の創作が相手に届かなかった。ほんの少しではあるが創作を職にすることを志していた人間にとって、この経験はあまりにもショックだった。

そして、そんな落ち込みの昼下がりに届いた通知だった。まるで曲がりくねった坂道を、すっと夕暮れのあったかい日差しが覆うように、自分の世界に彩りが戻ったような気がした。

ここからは、もうこんな公共のネットサービスに書くべきではないほとんどとある個人様宛の手紙です。


あの日、僕のあの拙い文を読んでくれて本当にありがとうございました。そして、ツイートで感想も残していただき、本当にありがとうございました。貴方から読まれたらただの拙い記事の一つで、そして日常の何気ないツイートの一つかもしれません。ですが、僕にとってそれはあまりにも感動的で、いままで持っていた憂鬱が全て吹き飛んだ気がしました。自分が編んだ言葉が他の誰かの胸に届き、さらに言葉を受け取ってくれた誰かの言葉が、キャッチボールの返球のようにこちらにもどってくることがこんなにも嬉しいなんて思いもしませんでした。あの日の貴方のおかげで、今の自分はより前を向けています。本当にありがとうございました。