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今更回想シャニマス5thDay1 せめて「さよなら」と言わせて欲しかった

私はたまに、YouTubeでプロ野球の引退試合の動画を見る。
引退する選手とその最後の勇姿を目に焼き付けようとする観客が作りだす球場の雰囲気は、なんとも言えぬ感動がある。

特に私が気に入っているのが、瞬足巧打のセカンドとしてソフトバンクの黄金期を作り上げた本多雄一の引退試合である。

球場中の期待を受けた中で3打席目にライト線に鋭い打球を放ち、スリーベースヒットを放つ場面(特に2塁ベースを蹴ってからの盛り上がり!)の球場の一体感、高揚感は何にも形容し難い良さがある。

ここまでつらつらと書き連ねて何が言いたいのかというと、シャニ5thDay1だって本来こうであるべきだったんじゃないかということだ。

「引退試合」の感動において最も重要なことは何か。それは、そこにいる全ての人がこの試合がそのプレーヤーにとって最後の試合なのだということを知って試合観戦に望んていることだ。だからこそ最大限の声援を送るし、最後の姿を目に焼き付けようとする。その一つ一つの姿がえもいえぬ感動になるのである。明確なラストステージが示されているからこそ感動的になるのである。

一方のIf_I Wingsはどうだったか。ライブ予告からなんとなくそれっぽい感じは漂わせつつも具体的な名言はせず、ライブ中も社長とはづきさんの会話、そして各ユニットのMCなどから“匂わせ“は行われたものの、「これがアイドル達にとってのラストライブだった」と明言されたのは後日のオーディオコメンタリー(しかも有償である)が初めてである。

私は何かしらの手段によってライブ前に「Day1は架空の世界線のラストライブである」ということを予告すべきだったと思う(勿論、ネタバレを踏みたくない人には最大限の配慮をした形で)
本当に「アイドルに対して誠実」であるなら、アイドルでなくなるIfの世界線に彼女達に対して、最高のラストステージを準備させてあげるべきだったのではないだろうか。

前述のようにスポーツにおいての引退試合が感動的になるのは、最大の歓声を送るのは、そこにいる人が全てそのプレーヤーの最後の試合だということを知っているからである。
しかし、If_I Wings Day1ではその“前提“は与えられなかった。観客に対して、今日が(あくまで空想上の)ラストステージだというとは知らされず、私たちは彼女の最後のステージでの勇姿を解明されない不安のままに見続けて、そしてえ最後はアイドルに「さよなら」をいう機会すら与えられず、ただ1人ずつ舞台裏に消えていく彼女達を眺めさせられるだけだったのだ。
私たちは一方的にアイドルから「さよなら」を言われただけだった。

果たして、これはもう一つのアイドルでなくなる世界線の彼女達に対して「誠実であった」と言えるのか。もしもアイドルでなくなるとしても、アイドルであったことは少しでも幸せだったと思ってくれるように、最大の歓声と応援を送ってあげる。これこそが、その世界線の彼女達に対しての誠実さであり、その声援を送る権利を与えることこそが、Day1しか現地に行くことができない人間に対する最大の“補償“だったのではないだろか。

ここまで言いそびれてしまったが、私はIf_I Wings Day1が「終わり」を描いたことに対しては、そこまで強い異論はない。
しかし、それを実際のライブで形にするならそのビジョンを明確に見る側にもすべきだったと思う。事前に予告してしまったらそれはそれで良くないのはわかる。ただ攻めたライブにするなら、とことん攻めてしかった。

よくシャニ5thDay1は「攻めたライブ」と言われる。しかし、こちらに言わせて貰えばシャニ5thDay1は“攻めたライブ“なんかじゃない。攻めようと思ったが詰めきれず、その結果としてライブの意図すらよく伝わらない、楽しさが溢れた満足も、感動によるカタルシスも存在しない、“中途半端なライブ“だったのだ

私は「はこぶものたち」や「YOUR/MY Love letter」などで隣人や他者のそれぞれを丁寧に思いやる事の大切さを丁寧に描いてきたシャニマスという作品に対して本当に尊敬に近い気持ちを持っている。
だからこそ、結果的にこのような観客のことを考えていないようなライブを作ったことに対してはとても失望の念を抱いているし、その失望の気持ちは約1年たった今も消えていない。

願うならば、今度の6thツアーがそんな鬱屈とした気持ちを晴らしてくれるものになることを祈るばかりである。