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楽になる生き方第3話

生まれてはじめて実家を出て予備校に通う為に都会で下宿に暮らし始めた。

予備校の授業も集中力がないと言う自分の中の理由で通わなくなっていった。

が、下宿生活は楽しかった。

また、前のようなエネルギーは取り戻しつつあった。けど、被害妄想が強かっだのでそこの土地にも同じ町から来た人で同じ学校だった人などには実際悪口も言われてたと思うが気になっていた。

友達も何人かできた。

この頃から多弁多動になっていた。

勉強にも専念できずに、送られて来た薬も飲まずに、寝れず、37度台の微熱が半年続いていた。

仲の良い人は何人かできたが、受かるはずのない受験をして当然のごとく大学受験に失敗した。

私が行っていた高校は進学率がだいたい90%なので大学行って当然だと親も周りも思う環境だった。

そして地元に帰ってきてまだ被害妄想が強かったので、通信制の予備校に通う事になった。


まー当時何十年も前はもちろん精神的な病と言われるものに対する知識や対処法も自分も親も学校も病院もあまりわかってない感じがした。

今色々な経験をして自己分析や振り返り病気の勉強薬の勉強、コミュニケーションの取り方、思春期に抱きやすい考えや、感じ方、また異性との付き合い方の大事さ、自分の特性を客観的に見ていてくれて、将来の進路の相談ができる大人が本当ならいたら人生凄い助かる事、友人の大事さ、自己表現の大事さ、自分を早い時期で認めてあげられる環境の大事さ、などなどがわかる。

し、まだこの時点では私は凄く敏感で情報収集能力が高く洞察力も高いがそれに情報処理能力が経験不足から追いつかなくて、頭の中で上手く人間関係ややらなくちゃいけない事とやらなくてもいい事考えなくていい事割り切る事などができなくて、環境の変化に対応も下手で、体が成長する時に出るホルモンの加減とかにも多分自分は驚いてたし、頭の中ではもう中2くらいから、パニックにはなっていたし、そこからだんだん色んな得意分野ができなくなって行き、友人と関係を築く自信を失いそして疑心暗鬼になって行き、そして被害妄想、と言う道に入っていった感じがする。

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