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楽になる行き方第6話

実は大阪に来てから二年目になって働きはじめてからは楽しみが少なくなっていた。

友達は皆地元に帰ってしまい、大阪に残った人もいたがみんな仕事が忙しく会えなかったりした。

一人だけ警備員のバイトで知り合った元ヤクザだという同い年の男性とはたまに遊びに誘われたりした。

アパートで暮らすようになってから、地元から同じ時期に関西に来ていた知り合いに、大阪の堺にあるキリスト教の教会を紹介された。

そこで知り合った、若い人たちとも遊んでいた。

毎日大都会の、ほとんど知り合いのいないなか、睡眠導入剤も飲みながら、毎日毎日、忙しい土日は10時間くらいは一度30分くらいの休憩を挟んで皿洗いとか、厨房にはいっていた。

職場は人に慣れてくるとやはり楽しい人や優しい人などもいて、先輩と兵庫の海に行ったりした。

元ヤクザの友達は遊ぼうと誘われては、まずい事ばかりしていた。私はしなかったが。

駅で待ち合わせていたら、時間を遅れてきて、手から血がポタポタ流して、むかつく奴いたから、しばいてきた。といっていた。

職場の人間関係はまあまあだったが、毎日仕事と生活に追われて勉強は全くしていなかったが。

堺の教会で、出会った一人の関西人の年上の女性に一目惚れしていた。

英語が堪能なショートカットの美人さんだった。

ただ、その頃から、職場には慣れてきたが、慣れてきたからこそみんなの距離が近くなってきて、妙に私の女性関係を、探られる感じが会話の端々にあって嫌になってきた。もともと何故かわからないが、恋愛にさほどまだ興味がなかったので、色んな人が異性関係聞いてくるが、わずらわしさしかなくて、しかもその当時に派手で飲み屋の仕事してる風に見られてかなり中身と外見のギャップがありすぎて、異性の話は一番触れて欲しくなかった。

そういう職場の人間関係が当時は嫌になって突然仕事を辞めてしまった。

そして地元に帰ることになった。実際は、病状も悪化していた。

教会の人、その年上の女性から、帰る前に会いにきてもらいたいと言われたが合わす顔がなくて、教会に挨拶に行くとその女性が何故かいて、最後に会えた。

同い年の、ヤンチャな知り合いにもさよならを言ってきて、連絡先を教えてほしいと言われたが、断ってきた。

父に迎えにきてもらって、関西からは、引き上げたが、それが10月頃だった。正確には一年と十カ月関西にすんだが、物凄い自分の中で得たものが大きすぎて、まー友人もそうだが、環境の違いが与える、又は育てる、認知の癖、笑える事の大事さ、そして一番は地元がやっぱり一番住みやすいというか慣れてるんだな。と、いう感覚。関西でも最後の方は私が関西人より面白いみたいな表現されたが、面白い事いえること、と、人間関係が上手いとか頭がいいのは、根本的に違うという事はわかってきた。

地元に帰ってきて病状は最悪になっていた。

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