あるようでない世界、ないようである世界を渡り歩く
先日マトリックスという映画を久しぶりに真剣に観ていました。
細かく世界観もできていて面白いなぁと思いました。
簡単に内容を説明すると、機械が進歩した世界で人々はマトリックスというバーチャル空間でバーチャル空間にいることを知らないで暮らしています。でも、現実は水槽に入れられ脊髄にコンセントを刺されて人間の発する電気エネルギーを機械に供給しているという電池状態🔋
自分達が電池になっていることに気がついて機械から逃げ延びて生活している人間たちがいて、機械対人間という構図で話は進んでいきます。
私たちが生きているこの世界が体の機能が映し出す、あるいは脳が感じている世界でしかないことを理解して欲しいと思っています。
マトリックスではありませんが、脳の中で構成された世界を生きていてあるようでない、ないようである世界なのです。
脳とは正確であるようで結構適当だったりもします。それは重要でないことは対して意識されていないということ。重要なこととは、今目の前で起こっている事、あるいは意図的に重要と思わされていること。
脳からみたあるようでない、ないようである世界なのです。
そう考えるとなんでもいいような気がしてきます。
ただ迷惑をかけずにやりたいことをやればいいのではないか?
別に誰の言うこともすることも関係はない。
ただ社会とのつながりは必要だと思います。
何も無いところで歩いていても誰にも出会えないからです。
1人から2人になった時、二つの世界か交わります。そこには相手にはあるが、自分にはないなど、1人の時には気づかなかった視点が生まれてきます。
お互いに世界を交わらせる時に、心地のいい瞬間が生まれるのではないでしょうか?
それはあるようでないけど、ないようであるのだと思います。
どこかに「つながり」があるのだと思います。
見えないものに目を向ける。
見えていることだけに惑わされず、見えていない所に目を向けてみると新な気づきが生まれるのではないか?
あるようでない、ないようである世界を渡り歩く為には、見えていないものを見ようとする意識が大切なのかもしれません。
今回はあるようでない、ないようである世界について考察してみました。
途中自分でも混乱しましたが、まとめてみます。
この世を見ている目は脳が映し出すものである。
2人になった時、映し出すものが交わり、世界を共有する。
それは目では見えないつながりである。
この世にはたくさんの人がいて、見えないもので溢れている。
それを見ようとすることで、つながりは生まれるのかもしれない。
ここまで読んでくださりありがとうございます🙏
見えないものに目を向けるという新たなテーマが生まれたので、それを軸に今後の考察をしていきたいと思います。
でわまた✋
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