期末レポートの下書き

・レポート課題をやっているようで全く進んでいない。

・ブログ日記がニヒリズムを乗り越える手掛かりになるというテーマでレポートを書くが、ニヒリズムとか直近2週間で初めてちゃんと触れた概念なのでそこの理解から曖昧である。ただレポートにする都合上最初にニヒリズムとはなんたるかを1000字程度でまとめなきゃならない。note上で書き起こした方が考えがまとまる気がするので試みる。





・1000字か。気ままに文章を書き連ねて達するか達さないかのギリギリが1000字だと思ってる。






・👆は30分くらいで書いたメモ。原罪の源泉が2つあるとか込み入った話はしなくていいと思う。




・ブログ日記がニヒリズムを乗り越える手掛かりになるというテーマの根拠をまとめよう。私の実感として、現代人は自分の言葉でしゃべったり感じたりすることができなくなっていると思う。例えば食べログや映画,comなどのレビューサイト、Twitterで飛び交う画像リプなどなど。バラエティー番組のワイプもそうだ。VTRで誰かがボケて、ワイプの中のタレントが笑って見せることで、私たちは初めて笑うべきタイミングを知って笑う。これらは『IMONをつくる』のインタビュー記事で恐山氏と大森氏が言っていたことだが、だいぶ核心をついていると思う。(お前も人の言葉でしか喋れてねーじゃんという非難についてはまた後で考える。こんな感じで自分の中が他人の言葉で満たされていったとき、人は巨大な虚無感に襲われる。これが私たちに身近なニヒリズムだと思う。

・ここでブログ日記の特性を見てみよう。一言で言えば、ブログ日記はある程度閉じたメディアである。まずブログは、SNSと違って閲覧者が自分から見ようとしなければ中身を見れない。また140字などという制限はなくまとまった量の文章を一度に投稿できる。その間に誰かのコメントが挟まることは無い。そして日記は、自分のその日にあった出来事を1つの文章にまとめたものである。日記の1人称は”私”で、他人の出来事が挟まる余地は無い。日記の執筆を通して、自分が自分であることを確かめることができると思う。これが、日記がニヒリズムを乗り越える手掛かりになる根拠だ。



・書いていて思ったが、どうしてブログにしてネットに投稿する必要があるのだろうか。自分でひっそり書き溜めるだけじゃダメなんだろうか。

・メモを見返すと、ニヒリズムとは「目的が欠けていること」であるらしい。ネットに投稿するということは反応を期待するという事。ネットからのコメントやポジティブなフィードバックをもらう事を目的とすることでニヒリズムからの脱却を図る、というのはどうだろうか。いや、これこそニヒリズムっぽいな。ニーチェはニヒリズムを乗り越える手段として、自分で自分を肯定できる「超人」になれと言ったらしい。自分で自分を肯定できるならわざわざ人に見せなくても良いんじゃないか。うーん、これはなんだかピンとこないんだよなあ。普通の人にはピンと来ないから「超人」なんて名前が付けられているんだろうか。








・考えるのめんどくさくてスマホいじってたら眠くなってきた!もう1時半!ヤバい!ニヒリズムがどうとかまとめてる場合ではない。

・先の結論は保留ということにしておこう。上でぐじぐじ書きなぐったやつを体裁整えてこれからの課題ということにしておけば先生も許してくれるだろう。

・ニヒリズムが何なのかは結局まとまってない。さっき書いた私の主張に沿うように書けばいいんだろうけど、それを整える余裕は今日の私には無い。


・文献読んでから寝ます。明日は8時に起きて学校に行く!!!

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