小沢健二を聞けなくなった理由

後輩から最近のオザケンについて感想を求められることがあった。

音楽はよく聞くし、なんでも聞くし、その中でもオザケンは特別で、自分の人生の核になっていると言っても過言では無いほど特別なものだ。

ただ、最近のオザケンを自分は真っ正面から受け入れる事ができない。


子供の頃、オザケンは売れまくっていた。【僕らが旅に出る理由】が、将太の寿司というドラマの主題歌になり、よく耳に残っていた。CMでは【カローラⅡに乗って】が流れまくり、ダウンタウンとのHEY!HEY!HEY!で聞いたラブリーも印象的だった。

時は流れ、高校になった頃、当時はMDにレンタルCDを入れて自転車で片道1時間の距離を通学していた。途中で入れ替えるのも面倒なので、アルバム1枚を行き帰り聞いて、次の日は違うものを聞くというのをやっていた。

高校の頃はハイスタやDragon Ash、リップスライムなどが流行していて、色々なアルバムを聞いていた。

なんでこれを手に取ったのか分からないが、小沢健二の名盤【LIFE】。

曲順も完璧で、最初から最後まで1曲の様な構成で、自転車を漕ぐスピードも速くなっていた。LIFEを聴き終えるまでに学校へ行きたくて、ダッシュしていた様な気がする。多感な青春時代、大人への階段、恋愛の楽しさ、人を好きになる喜び。オザケンが自分を成長させてくれたんだと思う。

それから大人になり、iPadを手に入れ、オザケンのアルバムは全て入れ、オザケンは事あるごとに自分を大きくさせてくれた。

しかし、オザケンが活動をする事は無かった。

自分の中でオザケンはもう死んだ存在になっていた。伝説のシンガー。

色々な恋愛をして、オザケンを聞いて、失恋をして、オザケンを聞いて、オザケンが寄り添ってくれた。

2010年、オザケンがツアーをする事になる。

どうやって取ったのか覚えてないが、奇跡的にチケットが取れた。中野サンプラザでオザケンに会える。

正直怖かった。10年近くオザケンを聞いてきて、オザケンが違うオザケンになっていたらどうしようかと思ってドキドキしていた。


開演になり、辺りが真っ暗になった。

暗闇の中、オザケンの声が聞こえた。

流れ星ビバップを歌っていた。あの時よりも太い声だが、オザケンだ。

あー、あのオザケンだ。気が狂いそうだった。

そして、急に照明が照らされ、オザケンが歌っていた。

ボロボロ涙を流してた。多分嗚咽していたんじゃないだろうか。なんか、青春時代が報われた気がしてた。

そこから先は夢見心地だった。あんまり覚えていない。


ライブが終わった後、もう、他のライブでこれ以上のライブを見る事はないだろうと感じた。

自分の思い出がプラスされたステージはこれ以上ない。

実際、その後の10年間色々なライブに行ったが、オザケンを超える事は無かった。

2021年、オザケンは精力的に活動を行い、アルバムを出したり、Mステに出たりと、今の若い子にも受け入れられている。

しかし、自分は受け入れる事が出来ない。

【それはちょっと】で結婚について否定的であったオザケンが事実婚をし、子供と一緒にPV撮ったり、素晴らしい事なのだが、自分はそれを受け入れる事が出来ず、それはちょっとなぁ…と、ひいている。

多分、重すぎたんだと思う。10年の月日で自分の中のオザケンが強くなりすぎて、オザケン像を確立してしまったのだ。

中野サンプラザでのライブが素晴らしすぎて、そこでゴールテープを切ってしまったのだ。

手を伸ばせばサブスクでも聞けるし、CDも買ってあるのだが、聞けていない。

多分、病気なんだと思う。ピーターパンシンドロームのオザケンバージョン。

ずっと、以前のオザケンを聞きながら、ライブから10年以上の月日が経ってしまった。

そろそろ聞きたいのでこうやって書いてみた。

そして、失った10年を取り戻す旅に出ないといけない。

僕らが旅に出る理由。


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