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うつわ考

うつわの楽しみは無限。
うつわを求めるとき、何を入れるのかに思いを巡らせる、
それがうつわの一番の醍醐味であろう。

何用?
ご飯なのか、焼き魚なのか?
単品なのか、盛り合わせなのか?
そういう視点から選ぶのが一般的かもしれない。

家庭で楽しむ器、レストランで使う器、
その差はなくなってきているように思う。

洋食のレストランでも和食器を使う。
個性の強いうつわと、
創作料理の調和が
視覚でも十分に楽しませてくれる・・・
想像以上の満足に満たされる。



どんなに立派な食材を使って
高価なお料理でも、
うつわで興ざめすることもある。

釉薬が剝がれていても、窯ヒビが入っていても、
焼きが良く、景色が良いものほど、
どこかにひずみが出たりするのだ。

利便性を優先すれば考えられない器でも、
視点を変えれば気持ちよく使うことができる。

例えばポットだったら、
熱いお湯を入れるのだから安定感のあるものが好まれるが、
スマートなフォルムの緊張感漂うポットを
あえて使うと言った人がいた。

どんなものかを見て納得だった。
作品として完成された魅力的な形だった。

とても嗜好の強い性質のものだからこそ、
とことん自分勝手に拘りを持っていいのだ。
誰にも邪魔されず
自分の数寄な世界を作り出すことができる。

うつわの魅力を知ったなら、
それは楽しい人生になること間違いなし。

うつわの中でも抹茶を楽しむ茶碗は、
茶人の手を渡りあるき、
又、とどまり、愛され、
そして又人に譲りうけられ・・・
遠い旅をするが、
うつわの中でも
極めて大事にされている不思議な器だ。

私も気に入ったオンリーワンの茶碗を常に求めているが、
なかなか出会えない。
色が気に入っても形がしっくりこないとか、
形が良くても手に馴染まないとか、
全てが良くても高台が好きになれないとか・・・

私の一番の拘りは・・・
高台なのかもしれないと認識している。
たかが高台、されど高台である。
どんな高台が良いのか、なかなか言葉では伝えられないが、
作為がなく「一手で削りました」と
静かに言っている
穏やかな高台の茶碗を求めてやまない。
まだまだうつわの旅は終わらない。



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