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梅ぼしのおにぎり

こんにちは。前回の投稿から少し日が経ってしまいました。でも感情を言葉に変換して文章にする作業は小さい頃からやっぱり好きなので気が向いた時に更新していきたいなと思います。

さて。突然ですが、

あなたにとって『人生で1番美味しかったもの』は何ですか?

この質問の答えをちょっと考えたり、思い出したりしながら読み進めてください。


最近読んだ本に面白いことが書いてありました。

食の喜びは心で感じる、口ではない。この考えを突き詰めると、なぜ料理がたとえどれだけ完璧なものであっても必ずしも心に残らないのか説明がつく。何が食事を楽しく、刺激的で、そして記憶に残るものにするのかを知るには、“そのほかの要素(こと)”の役割を理解しなければならない。

皆さん知っての通り人間の五感は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして味覚。人が何かを食べた時、美味しいとか美味しくないとか、口に入れたものの味を決める五感は?と聞かれたらきっと多くの人が『そりゃあ味覚でしょ』って言うと思う。(私みたいなとんでもないひねくれ者以外は)でもこの本には一体どれだけ人間の味覚があてにはならず、他の要素がいかに味覚における感じ方に影響しているかが様々な実験を通して証明されているんです。

例えば、物理的要因で言うと照明の色でワインの味が変わったり、ポテチを食べている時の音を増幅させると実際より新鮮で美味しく感じたりする。心理的要因で言うと、あのレストランであの人とあの雰囲気で食べた料理と全く同じ料理を家で一人で食べた時、同じ味だと感じないことは誰もが容易に想像できると思う。きっと自分の味覚に自信を持って働く料理人やソムリエの方たちは食事の時間を提供するプロとして味覚を重要視し、舌の上で感じる美味しさを追求する人は少なく無いと思う。けどこの本によると、食事の時間をどれだけ楽しめるかという課題に対し味覚以外の要素の影響を避けることは絶対にできないしそれを受け入れる時が来たらしい。

ここで最初に私が聞いた質問を思い出してください。

あなたにとって『人生で1番美味しかったもの』は何ですか?

この質問に対する私の答えはそう、あなたが勘付いての通り『梅ぼしのおにぎり』です。
幼い頃私は母親と喧嘩してばかりでよく家出をしていました。(今では仲良くなった^^)ある日、母親といつもより大喧嘩した私は泣きじゃくりながら近くに住んでいたおばあちゃん家に駆け込みました。おばあちゃんは泣きじゃくる私に『ひなちゃんまたママと喧嘩したん?そんなにようけ(たくさん)泣いたらお腹すくじゃろ』(広島弁最高だーー)と言って炊きたてのごはんにおばあちゃんが漬けた梅ぼしを入れて味付けのりを巻いた小さなおにぎりを2つくれました。おばあちゃんが漬けていた梅はとっても小粒で今考えるとうま味とかはあまりない超酸っぱい梅ぼしだったし、のりもお米もきっとスーパーで買った普通の食材。けどあったかいホカホカのごはんとおばあちゃんが自分で漬けた梅ぼしで私のためを想って握ってくれたおにぎりは最高に美味しくて、私はもう十何年も前の食事のひとときのことを今でもずっと覚えている。

あなたにとって人生で一番美味しかったものは私の経験とは違って、キャビアやフォアグラなど俗に言う高級食材を使った料理かもしれない。けどきっとみんな鮮明に思い出せる『美味しい』の記憶の1つにはあなたにとって大切な誰かが、もしくはあなたを想ってその料理を作ってくれた誰かがいるんじゃないかな。

私にとって料理をすることは『誰かを想うこと』。もちろん食材の組み合わせを考えたり、調理過程で変化していく食材の様子を観察することも大好きだけど、それ以前に自分が料理したものを食べてくれる人がいないと大好きな料理もやる気が起きない。(だから自分のために作る料理は本当に酷い笑)この大きさに切ったら食べやすいかな。ここに盛り付けたら一番最初に食べてもらえるかな。自分が作ったものを食べてくれるそのひとときを想像しながら料理をすることは私にとって幸せを感じる時間の1つだ。

どこで何をどのくらいの価格で食べても一定以上のクオリティーの『美味しさ』を手に入れることが可能となったこの時代に、料理人としてどんな料理を作りどう生きていくべきだろう。答えはまだ見つかっていない。けど1つ言えることは常に想像し続けたいと言うこと。食材を作ってくれた人やその人の背景、はたまた目の前にいる料理を食べてくれる人のことまで。私はきっと世界一美味しいものを作れるようにはなれないかもしれないけど、これから先、料理もそれ以外のこともたくさん勉強して、本にも書いてあった通りいろんな要素から美味しくて幸せな時間を創造できるようになりたい。

今度は自分が誰かにとっての『梅ぼしのおにぎり』を作れるように^^



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