126 / 猫派か犬派か

猫派か犬派かという問いに即答できるような人間になってみたいものだなぁとたまに思います。つまりぼくはこの2択という究極に答えやすい質問に対しても、すぐに答えを出してしまうことをためらってしまうような人間なのです。

男として生まれたのなら優柔不断ではなく即断即決。そうでありたいと思い、女性の前では頑張ってランチのメニューを即決したりして即断即決な男のフリをしてみたりもするのですが、他人の目が一切ないところで自分と向き合うほど、やっぱり自分は情けないほどに優柔不断な男なのだなぁと認めてしまいます。

情けない、というよりかはむしろもう、「よくそんなことでそこまで考え事ができるなー」と自分で感心できるようなところまで来てしまいました。子供の頃コンプレックスだと感じでいたものが、大人になると自然と許せるようになり、むしろ好きになってしまうような、そんな感じなのです。

それで、猫派か犬派かという問いに戻るのですが、とりあえず人からそう聞かれると、会話の入り口で迷路に迷い込むような真似をしても相手は困るでしょうし、とりあえずの解答をしないといけないなということで、犬派だと答えるようにしていました。そして、「キミはどっち派なの?」と尋ねます。

自分の会話の持ち時間はなるだけ短くして、相手にたくさん話してもらうことが、コミュニケーションのコツのようなものだとぼくは常々思っています。

犬派だと答えるのは、「散歩ができるから」という単純な理由があるからです。散歩をして、犬を連れている人を見るたびに、羨ましくなり、「将来は必ず散歩好きの犬を飼うぞ」という心の熱を強めるのが毎朝の日課のようなものです。

しかしこの間、ペットショップで嘘みたいに可愛い猫を抱っこしました。まだ小さくて、まるで人間を自分の親だと思っているかのような、人懐っこいマンチカンでした。これがまた、あり得ないほどカワイイのです。

実は実家で三匹の猫を飼っているので、猫の可愛さというのはある程度知っているつもりでしたが、その辺で見かける美人とは比べ物にならないくらいの“マジでやばいぐらい美人”が確かにこの世にはいるように、このマンチカンもやばかったわけです。

ぼくに抱き抱えられている白くて小さいマンチカンを見ながら、「これを知ってしまったら、建前でも犬派だなんて言えないな…」とぼくは思いました。しかし犬派じゃないというのも違う。ということで、ぼくはこの犬派か猫派かという問いに対する答えを出すことを諦めました。

「そもそも、犬と猫は比べるものじゃないじゃないか。そもそも、どうしてまるで犬の反対が猫であるかのような質問が定番のものになってるんだ。おかしいじゃないか。」

「犬派か猫派か」には答えられなくなった自分を慰めるように、こんな弁論を勝手に頭の中でやったのが、ついさっきのことです。

つまりぼくは、こんなことでわざわざ1000文字以上の記事を書いてしまうほど、たくさん考え事をしてしまう人間なのです。




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